ジャズスタンダード その2

 さて、歌詞と言えば、最初に耳にした時から、おやっと思わせる曲がある。ビリー・ストレイホーン(Billy Strayhorn)作詞・作曲のLush Lifeだ。ビリー・ストレイホーンと言えば、エリントン楽団のピアニスト・作曲家・アレンジャーで、エリントン楽団での代表作はTake the A Trainだが、実質的にはもっと多いに違いない。そのストレイホーンが19歳の時作ったのがLush Lifeだ。この曲を初めて聴いたのはコルトレーンのその名もLush Lifeという1956年発表のアルバムの器楽演奏だ。歌を聴いたのはJohn Coltrane with Johnny Hartmanで、実際にこの録音で曲の良さを皆が味わえるようになった。その前の録音で名高いのは1946年のナット・キング・コールによるもので、コルトレーン=ハートマンとはだいぶ趣が違う。ストレイホーンも違うと感じたので、コールに抗議をしたそうだ。YouTubeでたまたま見た、エラ・フィッツジェラルドが寡黙なエリントンの伴奏で歌うものはさすがだと感じた。ピアノの伴奏でじっくりと歌う方がこの曲に向いているのかもしれない。

Johnny Hartman Coltrane  Lush Life


 この歌の歌詞については、ブロッサム・デアリーが「ばかげている(silly)」と言ったとどこかで読んだ。ライナーノーツだったかな。しかし、結局は彼女も歌うのだが、「この曲を歌えるまでに11年かかった。」とも言っていた。そのくらい難しい曲らしく、フランク・シナトラは一回トライしてだめで、結局、歌わずじまいだった。この時の音源があるが、確かにヴァースの途中で止めている。

 その歌詞だが、とても19歳が作ったとは思えない。タイトルからして「酔いどれ人生」だし、19歳で人生の裏側をすべて見尽くしたかのようなことを書いている。エリントンはストレイホーンからこの曲を示されたそうだが、結局、バンドの曲としては採用しなかった。「ガキのくせにませた曲を書いて」という気持ちもあったろうが、楽天的なエリントンの好みとは異なる。

(ヴァース1)
I used to visit all the very gay places
Those come-what-may places
Where one relaxes on the axis of the wheel of life
To get the feel of life
From jazz and cocktails
The girls I knew had sad and sullen gray faces
With distingué traces
That used to be there
You could see where they’d been washed away
By too many through the day
Twelve o’clock tales


(ブリッジ)
Then you came along with your siren of song
To tempt me to madness
I thought for a while that your poignant smile
Was tinged with the sadness
Of a great love for me
Ah yes, I was wrong
Again I was wrong


(ヴァース2)
Life is lonely again
And only last year
Everything seemed so sure
Now life is awful again
A troughful of hearts
Could only be a bore

(ブリッジ)
A week in Paris will ease the bite of it
All I care is to smile in spite of it
I’ll forget you, I will
While yet you are still
Burning inside my brain
Romance is mush
Stifling those who strive
I’ll live a lush life
In some small dive


(コーダ)
And there I’ll be where I’ll rot
With the rest of those whose lives are lonely, too

さて、肝心の歌詞だが
Where one relaxes on the axis of the wheel of life
To get the feel of life
From jazz and cocktails

直訳すれば、「人生の轍の軸の上で一息ついて、ジャズとカクテルから生きるとはどのようなことかを感じる」ということか。わからなくもない。内容を云々しなければ、上手に韻を踏んでいるので耳には心地よいところだ。

問題なのは、
The girls I knew had sad and sullen gray faces
With distingué traces
That used to be there

ジョニー・ハートマンはdistingue tracesをdistant gay tracesと歌っており、ナット・キング・コールもそうだ。distingueはフランス語で、気品あると言った意味だが、何の意味かわからないリスナーを慮って、distant gay tracesと変えたのだろう。確かに「陽気な風情が」のほうがピッタリくるが、この後にthat used to be thereとあるので、前のdistantと重なって冗長になる。やはり、元の歌詞で歌うべきだろう。

I thought for a while that your poignant smile
Was tinged with the sadness
Of a great love for me

Poignant grief(激しい悲しみ)は目にしたことがあるが、poignant smileはどのようなものだろうか。Poignatは強く訴えかけるという意もあるので、直訳だと、「強く訴えかける君の微笑みは私への大いなる愛から来る悲しみに彩られていると思った」と言うことだろうか。

A troughful of hearts
Could only be a bore

桶一杯の心か。Heartすなわち「愛」だとすれば、「愛なんていくつあったってうんざりするだけだ」ということかな。

Romance is mush
Stifling those who strive

 Mushはマッシュポテトのマッシュだが、どろどろしたものから転じて、安っぽい感情、たわごとの意があり、「ロマンスなんてたわごとさ」ということになるかな。しかし、さらには、キス、愛撫、ロマンスの意味もあるからオモシロイ。
 やはり、19歳の早熟な青年が背伸びをして、一生懸命書いたと思わせるところもある。しかし、背伸びをしているにせよ、大人の世界を歌ったものには違いない。

 最近、好んで聴いているものの一つにParty’s Overという歌がある。ブロッサム・デアリーの歌が名高く、いろいろ聴いてみたが、マット・モンロー(Matt Monro)ヴァージョンが好みだ。「お楽しみは終わりだ。フツーの暮らしに戻りなさい」と中年男が若い女にアドヴァイス(説教ではない)する内容で、マット・モンローの声と余裕を持った歌い方がピッタリくる。Good Lifeという同じような内容の歌もあるが、こっちは相手がおそらく元カノで、トニー・ベネットだということもあり感情がかなりこもっている。

 スタンダードは大人の歌なのだ。1960年代を境に米国を中心に音楽市場は10代から20代を中心ターゲットにするものに変わってしまった。少年から青年期にかけての激しい叫びがマーケットを席巻するようになった。囁くような、低音から中音域でじっくり歌う曲は影を潜めてしまった。日本でもそうだ。フランク永井の有楽町で逢いましょうは昭和の大ヒット曲だが、今ではすっかり聴くこともなくなった。この曲が有楽町そごうの開店に当たってコマーシャルソングとして使われたことは良く知られているが、有楽町そごうは2000年9月に閉店してしまった。
 しかし、そごうが入っていた村野藤吾デザインの建物読売会館はビッグカメラ有楽町店が入店し、今でもその姿を見ることができるし、フランク永井の名曲もいつでも聴くことができる。残るものは残るのだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です