若草山の山焼き

 今回の奈良行の目的は一にキトラ古墳の壁画を観ること(予約制です)、その次は若草山焼きを体験することで(誰でも参加可)、壁画第一で、山焼きにはあまり期待していなかった。それより、山焼きはかなり冷えるということで、手袋、マフラーなどの寒さ対策が面倒であり、非常に寒ければスキップして、どこか暖かい場所で一杯飲もうかと思っていた。
 若草山焼きはコロナによる自粛期間を経て昨年開催されたのだが、残念ながら天候不良で山焼きの途中で雪が降ってしまい、消火には問題なかったが、祭りとしては消化不良に終わったわけだ。その意味では今年の開催は乾坤一擲と言うべきもので、天気が好ければ、やはり、行くべきだろうか。

 1月27日、山焼きの当日は好天だったので、行くことに決めた。午後過ぎから「鹿せんべいとばし大会」があるようだが、鹿せんべいにも鹿にも各段思い入れがないので、奈良の街をぶらぶらしながら、若草山方面に赴くことにした。東大寺の南大門の手前、公園を横切って徐々に坂になる路をゆっくり歩く。早く歩きたいのだが、同じ方向に進む人が大勢でゆっくりしか歩けない。山の麓といってもなだらかな丘だが、着いたのは午後4時頃、まだまだ日差しがあって、奈良の都が一望でき、右手に東大寺大仏殿の鴟尾が輝いている。春日山は木が一本もない芝生の山である。それだけに風を遮るものがなく、寒風吹き曝しのしかも傾斜15度くらいの芝生の上に立っているのは結構多変だ。山焼きは6時半ごろから始まるので、2時間強この姿勢で待たなければならない。周りでは徐々に人が集まり始めたが、聞こえるのは中国語ばかりである。言葉ではわからないが、それ以外にも見た目で東南アジア、欧米、その他の国々から来たと思われる人々が多い。この寒さで皆軽装なのに驚く。厚着してくださいとアドバイスされなかったのだろうか。

 6時になって奈良の各地から集まった消防団の出陣式が目の前で行われた。点火と消火の担当である。県知事などの挨拶が行われたが、挨拶する人は消火をしっかりやってくれと必ず付け加えている。山焼きの規模はまだわからないが、火をつけるより消す方が大変だと思った。山は頂上付近に雑草が生い茂り、その下はきれいに刈られて芝生状態である。雑草エリアと芝生エリアの間は綱が張られて、その下の見物席(立ち見だが)の間にも綱が張られ、それ以上先には行けないので、安全性は十分に確保されているようだ。

 急に辺りが暗くなってきた。先ほどまで光っていた大仏殿の鴟尾はもう見えない。今春日神社で御神火が点火されましたとアナウンスがある。金峯山寺の行者の先導で聖火行列が若草山の野上神社まで進み、松明に聖火の火が移される。読経、祝詞などの一連の儀式が行われたのち、松明から山麓中央の大かがり火に点火されるわけだ。これらの場面は全く見えないが、法螺貝の音が聞こえ、人々の頭越しに松明の炎がゆらめく。

 6時を過ぎて、突然花火が打ち上げられる。花火はいつも海や川を隔てたところから見ており、頭の上で破裂して大輪の花を咲かせる花火を見るのは初めてである。15分間で600発だそうだ。豪儀なものだ。外国からの観光客はもうこれだけでも満足だろう。普段、感動とは無縁の私でも少しだけ感動した。

 6時半、頂上の下、山を囲むように立っている消防団によって一斉に点火される。火は一瞬のうちに燃え広がり、炎となって四方八方から頂上に向けて遡っていく。燃え盛る炎をバックに消防団員たちの姿がシルエットで浮かび上がる。花火よりさらに荘厳である。花火の時はワーワーと言っていた人々もしばし無言で炎を見つめている。燃え盛る炎の背後に始原的なものを感じたのは私だけではないだろう。これは見物と言うより体験すると言った方が正しい。

2024年1月27日 奈良 若草山の山焼き

 若草山焼きは長ければ千年、少なくとも数百年は続いている行事だと思っていたが、夜間に今のように行われるようになったのは明治33年、西暦1900年からで、その歴史は150年にも満たない。今では、「若草大社」「興福寺」「東大寺」「金峯山寺」の神仏が習合し、慰霊と平和を祈念する炎の祭りとして定着している。悠久の民族的な伝統と考えられていたことがその実百年前後くらいしかさかのぼれない近代の産物だったということが少なくないらしい。伝統と言えば遠い昔を連想するが、「長い年月を経たと思われ、あるいはそのように主張する伝統の始まりは非常に新しいものか、創り上げられたものなのである」(エリック・ホブズボーム The Invention of Tradition)とあるように、明治政府が国家神道普及策の一環として拵え挙げた祭りなのかなと一瞬思った。確かに、春日神社での御神火、聖火行列、松明点灯、読経、祝詞などが続く一連の儀式はいかにも拵えたように見える。

 しかし、もともとは若草山の頂上にある鶯塚古墳に幽霊が出るとかで、それを鎮めるために民間で山焼きをやっていたが(いつごろからは不明)、当然消火まで気が回らず、東大寺に延焼することもあったとかで、これではかなわんと公の儀式にしたらしい。消火を管理するために寺が関わることになったのであり、始まりは民間だった。

 山焼きの炎を見て、これは祭りだと思った。少なくとも公に拵えられた儀式ではない。ただ、点火から消火へ続く一連の活動には大勢の人手とそれなりの運営規模が要るので、祭りとしての形を作り上げ、伝統として残していくために一連の儀式が必要となったのだろう。
 儀式はあるが、総じて宗教色が薄いために、外国人もクリスチャン、ムスリムに関係なく参加できる祭りが若草山焼きである。そして炎を前にして不可思議で人知が及ばない何かを感じるのは日本人だけでなく外国人も同じだろう。また、法螺貝を吹きながら御神火を先導する行者の中に若い女性が数名いたのにも少々驚いた。法螺を吹くのはオヤジと決まっていたのだが、最近では若い女性も吹くのだ。これは愉快な驚きである。今後、こうした女性たちが増えていくのだろうな。悪いことではない。
 今回、初めは乗り気でなかったが、結果として良い経験をさせてもらった。こういうことは何度もある。今後、このような経験が何回できるか楽しみでもある。

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