2023年 私の10冊 その1

2023年に読んだ本

広瀬徹著 籾山仁三郎〈梓月〉伝

 2023年の読書も文芸物は少なく、歴史あるいはノン・フィクションが大半を占めることになりました。村上春樹の「街とその不確かな壁」は、発売当日に手に入れ、最初をパラパラとめくったところ、あれ、前に読んだなと思い、若い時の作品に手を入れたものだと分かってから、ちょっと読む気が失せて、置いてありますが、そのうち読むでしょう。広瀬徹さんからいただいた「籾山仁三郎〈梓月〉伝」は日本近代のディレッタントの姿を丁寧に描いていて、ずいぶん参考になりました。読み直した本は「草枕」で、これは漱石の芸術論とも言うべきもので、こういう芸術論を書く方もだが、読む方も大したものだと明治の文化程度の高さに驚かされます。コーマック・マッカーシーのNo Country for Old Manも入手しましたが、読み終わってはいません。この本はタイトルに惹かれて買いました。「年寄りに居場所はない」、なんて刺激的なタイトルじゃないですか。

それでは、10冊には届きませんが、次の6冊を紹介させていただきます。

① David Grann Killers of the Flower Moon

 イスラエルの報復としてのガザ侵攻とパレスチナ人攻撃はアメリカ合衆国のネィティブアメリカンに対する行為を思い起こさせる。入植者が先住民を駆逐することに加え、国を挙げて先住民を小さな土地に閉じ込め、たまりかねた先住民の一部が入植者を攻撃すると、勇ましい騎兵隊(イスラエルは戦車)が出撃し、女子供も容赦なく大規模な殺戮を行った。構図はまったく同じだ。イスラエルは米国の例を「成功事例」として学んだのかもしれない。

David Grann Killers of the Flower Moon

 この本は、オクラホマ州オーセージ郡を居留地とする先住民オーセージ族の悲劇を取り上げたノンフィクションである。淡々とした筆致で丁寧にこの事件を描いている。これは西部開拓時のものではなく、20世紀に起きた悲劇だ。オーセージ族はミズーリ―などの広大な地域に居住していたが、19世紀後半に現在の土地に落ち着くことになった。当然ながら荒涼とした土地で、農業も難しく、貧困生活を送っていたのだが、この土地の地下にとんでもないお宝が眠っていた。原油である。

 1920年までに、オーセージ族は原油のロイヤルティ収入によって「米国人の12人に1人が車を持つ時代に1人で12台の車を所有する」ほど裕福な部族となった。そして1920年代、オーセージ・インディアン連続殺人が起こる。石油によって大きな富が生れ、白人がその人頭権、ロイヤルティあるいは土地を奪うため、毒殺、銃による強殺、そして爆殺などあらゆる方法が用いられて20人もの部族員が殺された。これに対しローカルの司法は白人に同情的あるいは買収されて十分な捜査を行わなかったため、これを機会に名を挙げようとする野心の塊フーバー率いるFBIが捜査に乗り出し、オーセージ族の女性を妻にした白人男性数人、そしてオーセージ族に対する「保護者」として裁判所から指名された弁護士や事業家を謀殺の黒幕あるいは実行者として起訴することに成功した。

 これだけの犯罪の背景には、人種、風習、言語の違う人々に対する蔑視がある。起訴から裁判まではなんとか持って行けたが、「インディアンを殺したくらいで白人を裁けるのか」という世論が強く、有罪にできるか大きな不安があった。オーセージ族に限らないが、米国の先住民は成人であっても一人前とは見做されず、白人の保護者の管理下にあり、自分の金でも自由に引き出せないなど権利を制限されていた。白人の悪者はここに付け入り、その富を強引に奪おうとあらゆる手を尽くしたのだ。イスラエルの場合も、パレスチナ人に対する蔑視がある。少なくともイスラエル人1人の命がパレスチナ人1人の命と同じ重さだとは考えてはいないだろう。

 このノンフィクションを基にマーティン・スコセッシが監督で映画が製作された。悪玉のボスをロバート・デ・ニーロが、その甥で殺人に手を貸した男をレオナルド・デカプリオが演じている。評判がいいので、いずれ観てみたい。

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