2023年 私の10冊 その4

④ 隈研吾 日本の建築(岩波新書)

隈研吾 日本の建築

 神宮外苑の再開発に関する記事を読むと、神宮球場の建て替えの件はともかく、今更高層ビルを建てる必要があるのかと思う。これからの時代、鉄とガラスとコンクリートのビル建設は資源と環境にマイナスでしかない。

 20世紀、それに戦後の日本ではコルビジェ(コンクリート)とミース(鉄)のモダニズム建築が建築世界を席巻しているのだが、本来、モダニズム建築は「自然との切断」を意図したもので、それが資源と環境にマイナスの影響を与えているのだ。資源と環境によりフレンドリーな建築の代替案が必要な時に来ている。その代替案を模索しているのが建築家隈研吾だ。

 代替案と言っても、鉄とコンクリートとガラスの四角な箱がフツーと思われている日本では簡単なものではない。隈研吾はそれを、モダニズムの影響下にありながら、日本と近代、日本と工業化社会の「折衷」の道を探った藤井厚二(小さなエンジニアリング)、堀口捨巳(弱い物質の再発見)、吉田五十八(現代の数寄屋)、村野籐吾(ディテールへの拘り)、アントニン・レーモンド(日本とモダニズムの折衷)、シャルロット・ぺリアン(日本デザイン誕生の触媒)の6人の足跡を辿ることで見出そうとしている。「折衷」とは妥協の事ではなく、「つなぐ」ことだと隈は強調している。
 それで見出した代替案のヒントは、「弱い物質」、「弱い形態」、「弱いディテール」の三弱である。これがどのように新たな建築の姿になって現れるのかわからないが、隈研吾がプリッカー賞を獲る前に実現させるものを見てみたい

 隈研吾こそコンクリート、鉄とガラスの建築づくりに邁進して来た人間の一人じゃないかと思う人は、彼の処女作「伊豆の風呂小屋」を見ていただきたい。なんとも心細い建物だが、建て主が大事に修繕しながら使っているそうだ。いわゆる「木のバラック建築」桂離宮の「ペラペラの材料、風通しの良い平面、仮設的な美学」(藤森昭信)を受け継いだ建物なのである。建築史家である藤森さんは建築家を知るにはその処女作を見ればよいと言っているが、まさにその通りだ。

 また、民藝を、民衆との接点がない「当時の権力に批判的な文化的エリートの趣味の世界」と片づけているのも面白い。柳宗悦の「民藝四十年」を読んで、全く同じ感想を持った。

 藤井厚二の「聴竹居」は魅力的な建築だが、まだ直接見たことはない。京都大山崎天王山にあるのだが、今年は予約を入れてぜひ訪れてみたい。

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