マット・モンロー ②

 前に、同じ歌手が、曲によって、ああこれはジャズだ、ポップだなと異なる印象を与える場合があると述べた。ナット・コール、トニー・ベネットがそうだ。英国の歌手、マット・モンローもその一人だ。マット・モンロー(本名Terence Edward Parsons)にはジャジーな曲もあるが、ポップなものも多い。彼が残した歌の多くからみて、バラードシンガーと呼ぶのが最も相応しい。マット・モンローは「黄金の声を持つ男」、「最高にリラックスした、最も完璧なバリトンボイス」と称賛されているが、反面、「60年代で最も過小評価されたボーカリスト」とも言われる。世界で2300万枚レコードが売れていて、過小評価はないだろうが、見た目がやや地味なのも影響しているかな。マット・モンローは1930年生まれで、亡くなったのは1985年。54歳だから早い方だ。ヘビースモーカーでアルコールの問題を抱え、肝臓癌で亡くなった。

 本格デビューする前はロンドンのバスの運転手などをやって生計を立て、かなり苦労したが、1956年にデモで吹き込んだPolka Dots and Moon Beamsを聴いたピアニストのウィニフレッド・アトウェルに認められ、デッカレコードに推奨され、デビューする。マット・モンローというステージネームも彼女が与えたものだそうだ。このデモテープを聴いたが、若いころのシナトラよりかなりうまい。シナトラの歌唱はフラットに聴こえ、モンローが声と表現力で優る。しかし、プロの歌手活動の初期はそのころ人気があったフランキー・ヴォーンを真似たりして(本人の意思に反してだと思うが)、あまりぱっとしなかったが、1959年にThe Beatlesのプロデューサー、ジョージ・マーチン(Sir George Henry Martin)に出会ってから運命が変わった。ジョージ・マーチンがプロデュースした2枚目のシングル、Portrait of My Loveがヒットしたのだ。そして、1963年、邦題『007危機一髪』のタイトルソング(タイトルソングとは言いながら、冒頭ではなく、エンドロールで流れた)、From Russia with Loveがヒットして、日本でも知られるようになる。この歌が日本でヒットしたのは東京オリンピックの年の1964年、『007危機一髪』が公開された年だ。ビートルズが日本でレコードデビューした年でもある。ラジオからPlease Mr. Postmanなどと同時にFrom Russia with Loveが聞こえ、中学二年生だった私にとって新しい音楽との出会いの年となった。レコード屋で見た「フロムロシア」のシングル盤のジャケットには銃を構えたカッコいい男がフィーチャーされ、声からうける印象と写真のイメージがぴったり合っていて当時はそれがショーン・コネリーではなく歌手のマット・モンローだと思っていた(なにぶん中学生ですから)。それで、実際に別なレコードのジャケットでモンローの写真を見た時は少しがっかりした。

 モンローの余裕を感じさせる声は大きなスクリーンで見せる映画と相性が良く、他にもBorn Free(『野生のエルザ』)、Wednesday’s Child (『さらばベルリンの灯』)、On Days Like These(『ミニミニ大作戦』邦題はひどいタイトルだが、オリジナルはThe Italian Job)などを残している。Born Freeは1966年のアカデミー歌曲賞を受賞して、マット・モンローのシグネチャーソングとなった。この曲には思い出がある。私の弟の長女、つまり姪だが、幼い時は周囲の事ばかり気にして落ち着きがなく、その心を正すため、のびのび生きることを教えにゃならんと思い、この曲を何度も聴かせたのだ。いいか、ボーンフリーが大事なのだと。そのせいもあってか、傍若無人な人間に育った。

 モンローがアメリカの歌手と違うのは、欧州放送連合が主催するユーロビジョン・ソング・コンテストに積極的に出場していることで、そのためにイタリア語、スペイン語で歌った曲もある。1964年には当時16歳だったジリオラ・チンクエッティ(Gigliola Cinquetti、日本でも人気があった美少女)に次ぐ2位を獲得している。この時に、オーストリア人歌手、ウド・ユルゲンス(Udo Jürgens)が歌った曲が気に入り、Walk Awayというタイトルで吹き込み、ヒットした。この曲はヨーロッパに多い歌い上げるタイプのドラマティックなものだが、歌詞の内容は中年男と若い女の不倫で、カミさんにばれそうになったかやばいと思った中年男が泣く泣く「行ってくれ。ふりむくんじゃない」と別れを切り出し、「出逢うのが遅すぎたんだよ」とよくあるセリフを口にする。しかし、モンローは朗々と歌い上げて、中年男の別れを盛り上げる。大瀧詠一が作曲、森進一が歌ってヒットした『冬のリビエラ』はこの曲にインスパイアされたそうだ。

 Who Can I Turn To?(When Nobody Needs meも私が好きな曲で、以前はトニー・ベネットの歌唱がベストだと思っていたが、ベネットより抑えた感じで、しかし、同じくらいドラマティックに歌うモンローはさらに良い。この他に私が好きな曲を挙げると、グレン・キャンベルが歌った『恋はフェニックス』(この邦題もひどい。失恋の歌なのに)の作曲者ジミー・ウェッブが書いたDidn’t We?がある。お互いにエゴが強くて妥協できずに別れた過去も今となっては懐かしいとモンローはじっくりと歌い上げる。

 マット・モンローの歌唱で特徴的なのはディクションの良さだ。このおかげで歌詞がくっきりと頭に入ってくる。その歌詞が良ければなおさらだ。歌詞が良ければメロディーも良いと概ね決まっているから、印象に残るわけだ。また、モンローはギミックを排してストレートに歌う。サラ・ヴォーンなどは途中で声を不必要に引き延ばし、いろいろオカズを入れるが、余計なことをしなければもっと素晴らしいはずだと思うことがある。アニタ・オディも凝ったフレージングで歌うが、あれは声が小さくフラットに聴こえると言う弱点をカバーするために表現上必要なテクニックで、それが身に付いているので個性としか聴こえない。

 You’re Gonna Hear From Meは歌唱よりもビル・エヴァンスの演奏で有名な曲だが、実はアンドレ・プレヴィン(André Previn) が書いた映画のテーマ曲で、バーブラ・ストライサンドが歌ってヒットした。「今はしがない俺だが、待っていろよ、そのうち天辺に上り詰めるぜ。その時はよろしく(you’re gonna hear from me)」というちょっとびっくりするような歌詞だが、ビル・エヴァンスも取り上げるくらいだから、メロディーも面白く、マット・モンローの歌唱はこれから天辺を狙うぞという野心と希望に満ちている。

 モンローは歌詞を大切にするティン・パン・アレーの曲に向いていると思うのだが、歌っている曲は案外少ないそうだ。これはジョージ・マーチンのヨーロッパの作曲家重視の方針によるものだが、例外はホーギー・カーマイケルで、モンローは、Stardustはもとより、Goergia on My MindRockinChairSkylarkThe Nearness of Youと何曲も録音している。ホーギー・カーマイケルの曲はさりげない歌詞にさりげないメロディーで、じっくり歌われると実にいい味が出る。特に語尾が大事で、語尾をそっと置くように歌うのが良い。この点、モンローのSkylark、特に、The Nearness of Youはいい。

Skylark
The Nearness of You

 マット・モンローは良い歌が良い歌だと聴き手に感じさせる歌手だ。あまり大きくないインティメートなクラブのような場所でじっくり聴いてみたいと思わせる歌手なのだ。

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