ディレッタントを目指す
以下の文章は、私が所属している(社)シニア社会学会の研究会の一つである「」シニア社会のリテラシー」研究会(研究会座長濱口晴彦早稲田大学名誉教授)の活動の一環として発行された小冊子「わたしたちのシニアライフ」に寄せた文章に若干の手を加えたものである。タイトルは「ディレッタントを目指す」である。もちろん、今の私はディレッタントと名乗るほどの者ではなく、あくまで理想の話である。
「私は、ディレッタントである。物好きである。生活が作品である。しどろもどろである。私の書くものが、それがどんな形式であろうが、それはきっと私の全存在に素直なものであった筈である。この安心は、たいしたものだ。すっかり居直ってしまった形である。自分ながらあきれている。どうにも、手のつけようがない。」
(太宰治「一日の労苦」より)
太宰の文章としてもとりとめのない内容だが、「ディレッタント」、「物好き」、「私の全存在に率直な」の三つの言葉が私の心に響く。
ディレッタント(dilettante)は、英語辞書によると、“a person who is or seems to be interested in a subject, but whose understanding of it is not very deep or serious”で、日本の辞書では、「半可通の知識をひけらかす人をさげすんでいうことが多い」と、残念な存在のことを示す。しかし、もともと語源はイタリア語で、「楽しむ人」を意味し、「仕事ではなく、自分自身のために芸術や学問を楽しむ人」が本来の意味だ。自ら進んで「半可通」になろうとする者はいないので、私の目指すのはもちろん「楽しむ」ディレッタントである。ディレッタントは学者とは違い、自分で名乗るようなものではないというのは尤もであり、芸術や学問を楽しむ、その享受の仕方や態度を指すディレッタンティズムを信条としたいと述べるほうが適切だ。芸術方面にそれなりの関心があっても、あくまで受け身の享受者であり、それ以上には今更なりたくてもなれない。
ディレッタンティズムは私の個人的嗜好にとどまるものではない。大きく言えば、教養というものが金儲けや地位獲得と言った実利的な側面から離れて、それ自体が尊いものとして評価されるようになるべきであり、そのためにディレッタンティズムが大きな役割を果たすことができると考えている。
教養つまり知識が金に直結するものだとすれば、それを得るために必要な教育は金を儲けるための投資となる。高い教育を受けた者にはそれに応じた社会的な収入が約束されるというのが今の社会の「道理」であり、ゆえに教育は自己投資であるという考えが生まれる。つまり、自己投資ができる者が高い教育を受けることが可能だということになる、有名大学で学ぶものは金持ちの子弟ばかりというのが金儲け至上主義の米国の現状だが、日本でもまったく同じことが起きており、「苦学」はとっくの昔に死語となってしまった。また、金に結びつきやすい知識を得るための教育が重視されることになり、「採算が合う」自然科学に手厚く、社会科学、人文科学分野はなおざりにされる。また、社会に出て儲けることが優先されれば大学に残って研究する者も減る。
しかし、さらに深刻だと思うのは、「遊び」の精神がないことだ。遊び(あそび)とは、人を含む知能を有する動物が、生存・生活上の実利の有無に関係なく、心を満足させることを主たる目的として行うものである。基本的には、生命活動を維持するのに直接必要な食事・睡眠等や、自ら望んで行われない労働は含まない。これが大ざっぱな遊びの定義である。ホイジンガは、「ホモ・ルーデンス」で、政治、法律、宗教、学問、スポーツなど、人間の文化はすべて「遊びの精神」から生まれたもの、あるいは、すべての人間文化は遊びとして発生し、展開してきたものであると主張し、特に、遊び上手として日本人に言及している。つまり、文化には遊びが必要なのだ。コアにこの遊びの精神をふんだんに持っているのがディレッタンティズムだ。
既に日本には遊びの精神が横溢したディレッタンティズムに溢れた時代があった。江戸時代の中期から後期にかけてのことだ。江戸末期に欧米から来た外国人が一様に驚嘆した水準の高い知識人の世界が日本にはあったのである。「日本人は貧乏で、暮らしは実に質素だが、好奇心旺盛で、向学心が高い」と強い印象を受けた。その一例が江戸の和算ブームにおける「算額」(問題が解けたことを感謝して神社仏閣に問題を記した額を奉納する)だ。武士、農民、町人の身分の分け隔てなく和算の問題解きに熱中するなど世界中に類例がないと言う。そして、本居宣長もエレキテルの先生もディレッタントだった。江戸のディレッタンティズムは身分を超え、知識人の遊歴・遊学によって築かれた知のネットワークが日本中に張り巡らされ、豊かな交流があった。「都会では横丁の隠居や大家であり、田舎では、お寺の坊さんか寺子屋の師匠がこれに当ります。ああいう物知りというのは、どんなに戯画化されて描かれているにせよ、近代知識人の原型であり、自分がどこの国に生れた、とか身分は武士だとか医師だとかいう所属意識をこえて普遍的な文化を追求する、知的好奇心にあふれた存在です。」(丸山眞男)このような文化的背景が明治以降の様々な分野における急激な成長に繋がったことは間違いない。さらなる発展ための豊かな知的土壌がすでに存在していたのである。この豊かな土壌から西洋文化の刺激を受けて牧野富太郎や南方熊楠のような巨大なディレッタント、漱石や鴎外のような偉大な文学者たちが生まれた。
今の社会でわれわれが直面している諸問題の根源は「大量生産、大量消費」の悪しきサイクルにあるのだが、この悪いサイクルによって生まれ、これを支えているのが「ホモエコノミクス」的人間観だ。「ホモエコノミクス」とは、「自己の経済的・物質的利益を最優先し、それを最大化するように行動する人間」のことだが、大量生産は機械がやる仕事で、人間は消費に専念するわけだ。消費するための金が欲しいだけの動機で安易に強盗に走る未成年が急激に増えているのは悪しき「ホモエコノミクス」概念がかなり社会に浸透している証拠である。物質的豊かさ追求には限界がある。また、物質的豊かさとは逆に精神的に貧しくなっていることは否定できない。量的な生の追求から質的な追及へ大きな転換が必要だ。
人間の三大欲求、情欲、名誉欲、金銭欲のうち最も蔑まれていた金銭欲が、肯定されるだけでなく、人間の本質として称揚されるに至ったのは欧米では300年前くらいで、当初は、統治者たちの破壊的な名誉欲、権力欲を抑制するために、よりマシと見なされた利益追求欲が欧米の思想家たちによって有効に利用されたのだ(A.O.ハーシュマン「情念の政治経済学」)。欲は欲をもって制すわけだ。これが成功だったかは大いに疑問だが、金銭欲を知識欲で少しでも制御できるくらいになれば、少子化でもGDPが減っても、日本の未来には期待が持てる。つまり、自己利益追求の「ホモエコノミクス」に利益を度外視して知識を追い求める「ディレッタント」を対峙させたいと思うのだ。
様々なことに興味を持ち一つ所に落ち着かないディレッタントと対極のポジションにあるのが専門家だ。「正にこれ、英雄時代 (幕末の志士の時代を指す)去りて『書生』の時代来たり、『書生』の時代去りて “専門家の時代に達せり”というべし。」これは山路愛山が江戸末期から明治を経て大正に至るまでの知識人の変化について述べた言葉で、その通り、今は専門性重視の時代である。様々な能力を伸ばす多面性より、一つの能力に特化する一面性の時代である。専門性の重視度が高まるにつれ、ディレッタントの名は一種の蔑称となり下がり、専門家とそうでない人間とのギャップは甚だ大きくなっている。これは良いことだろうか。良くない例として、専門家と一般市民の間で知識や情報が共有化されていないために、市民が不利益を被っ たり、よりよい施策のための合意形成が進まないという社会状況が増加しているように見える。また、専門的知識は高度化して頂は高くなっているが、それを支えるすそ野はやせ細って、はなはだ心もとない状態にも見える。学問だってしっかり大地に根を生やしていれば大きく育つだろうが、小さな鉢の中で育てられれば、成長にも限界があるだろう。
「深い穴を掘るには、幅がいる」経団連会長であった土光敏夫の言葉だ。私はこの言葉を友人のSさんから初めて聞いたとき、さすがエンジニアならではの言葉だと感心した。
土光さんの言葉を詳しく引用すると、「専門家が深く進むのは当然だが、狭くなるとは不可解だ。ほんとうに深まるためには、隣接の領域に立ち入りながら、だんだん幅を広げてゆかなければならない。深さに比例して幅が必要になる。つまり真の専門化とは深く広くすることだ。そうして、この深く広くの極限が総合化になるのだ。」この言葉は、幅広い知識と経験があって初めて物事を究めることができると解釈できるが、専門家のみならず幅広い人材とそれを有機的につなぐネットワークが必要だとも言っていると思う。
マックス・ウェーバーも次のような言葉を残している。「一般に思いつきというものは、人が精出して仕事をしているときに限って現れる。…素人(つまり、ディレッタント)の思いつきは、普通、専門家のそれに比べて優るとも劣らぬことが多い。実際、われわれの学問領域でもっともよい問題やまたそれのもっとも優れた解釈は、素人の思いつきに負うところが多い。…素人を専門家から区別するものは、ただ素人がこれときまった作業方法を欠き、したがって与えられた思いつきによってその効果を判定し、評価し、かつこれを実現する能力をもたないということだけである。」(マックス・ウェーバー「職業としての学問」)ウェーバーは、方法論を持たない素人(ディレッタント)の問題を指摘するのみならず、ディレッタントの持つ力と専門家の協働の可能性も示唆しているのだ。
欧州ディレッタントの典型と言うべきゲーテも、「専門家の世界から閉め出されたディレッタントは専門家と素人の間に立ち、ときに両者を仲介する」と述べている。
奈良では、発掘現場、発掘成果の説明会に天候に関わらず熱心な考古学ファン、あるいは日本の古代史に関心を持つ人々が集って熱心に耳を傾けるだけでなく、鋭い質問を投げかける光景を目にする。このような人たちが専門家に刺激を与え、一般の人々に有意義な情報を伝播する。日本の考古学を支えているのはアマチュア考古学者だと思う。
好きなことをただやっているのでは単なる「物好き」の域を出ない。もちろん、原点は「好き」にあるのだが、ディレッタントが小集団と小集団を結び付ける役割を果たすことで、まるで江戸時代のような知のネットワーク構築に寄与できるのだ。
和辻哲郎はその「人倫的組織」について次のように言及している。「人々が自発的に作りあげる「人倫」(共同体)のネットワークのうち、もっとも大きく広がりうるのは「文化共同体」である。それは、学問や藝術や宗教を介した少人数の集団に始まる。」
人倫のネットワークの結節点として機能することをディレッタントに期待したい。
籾山仁三郎という人物がいた。永井荷風の支援者として知られていたが、実業家、文芸人、出版人といくつもの顔を持つ、まさにディレッタントだ。彼の伝記を著した名古屋外国語大学名誉教授広瀬徹氏(勤めていた会社の先輩にあたる)の言葉をお借りすると、「好奇心をもって知識を拡張しながら、個々の知識を連結していく行動原理」あるいは「教養形成の基盤として」、さらに「人生の愉楽と幸福を求める」ひとつの方法論としてディレッタンティズムを提唱したいと思うのである。