強靭なビル・エヴァンス

 ビル・エヴァンスと言えば、客の話し声や笑い声まで聴こえるジャズクラブのインティメートな雰囲気の中で、ベースとドラムを従えてというより三者一体で奏でるAutumn LeavesMy Foolish Heartのような繊細なタッチと長く余韻のあるフレージングが特徴の演奏を思い浮かべるだろう。ビル・エヴァンスの「繊細な」プレイスタイルには白人ピアニスト、レニー・トリスターノ(Lennie Tristano、エヴァンスのConversations with Myselfにおける多重録音はトリスターノに触発された)、ジョージ・シアリング(George Shearing、シアリングスタイルと呼ばれるブロックコード奏法)の影響があると言われる。しかし、それだけではない。エヴァンスは、モダーン以降のピアニストなら当然のこと、バド・パウエルからの影響も大だが、ナット・コールからの影響もある。エヴァンスによれば、ナット・コールは「これまでのジャズにおいて、最も魅力的で、ものすごくスイングし、きれいなメロディの即興演奏で、僕の心をがっちりつかんだ最初のジャズピアニストの一人だ。」とべた褒めだ。ナット・コールがコーラスの中で一つのアイデアを拡張していくやり方に特に惹かれたとのことだ。その例として、1944年のナット・コールトリオによるBody and Soulの演奏を挙げている。

Nat KIng Cole Trio Body and Soul

 エヴァンスの初のリーダーアルバム、New Jazz Conceptionsが世に出たのは1957年、リバーサイドレコードのオリン・キープニーズは2枚目のアルバムをすぐ出すつもりだったが、「今はこれ以上語ることがない」とエヴァンスが断り、次のリーダーアルバムEverybody Digs Bill Evansがリリースされたのは2年後の1959年だった。この2枚のアルバムには後年エヴァンスが自分のスタイルを確立するにつれ希薄になったバド・パウエルやナット・コールの影響を垣間見ることができる。この2枚のアルバムを聴けば、エヴァンスのプレイは、「内省的かつ瞑想的だが、一方で、ダンスも踊れる」ということがわかるだろう。ビル・エヴァンスはスイングするのだ。
 Everybody Digsにはソロとトリオ編成の演奏が含まれ、トリオ編成では、ドラムのジョー・ジョーンズが叩きすぎだと思うこともあるが(Night and Day)、サム・ジョーンズのウオーキングベースに乗ってバウンスするTenderlyのプレイが若さも感じさせて心地よく、Young and Foolishはまさに我々がお馴染みのビル・エヴァンスだ。ソロプレイのPeace PieceはSさんがまるでショパンの舟歌じゃないかと指摘した曲だが、レナード・バーンスタインのSome Other Timesにインスパイアされたものだ。この曲の試し弾きの音源が残っていて(6分10秒もある)、最初のアルバムには収録されなかったが、後で発売されたものにオリジナルのタイトルで付け加えられた。ここで奏でられるイントロはKind of BlueFlamenco Sketchesの冒頭でも聴くことができる。というより、このイントロ部分はKind of Blueのこの曲の曲想を示すものなので、Peace Pieceが生まれていなければ、Flamenco Sketchesはなかったかもしれない。

Peace Peace
Some Other Times

 しかし、このころのビル・エヴァンスの演奏で最も心に残るのはリーダーセッションではなく、サイドマンとして他のミュージシャンと共演したものの中にあり、その一つがジョージ・ラッセル(George Russell)の1956年の録音だ。今は、George Russell Complete Bluebird Recordingsというタイトルで2枚のアルバムを集めたものが発売されている。
 この中で一曲挙げろと言われれば、Concerto for Billy the Kidになる。最初に聴いた時もそうだが、今聴いても、ビル・ヴァンスのソロは圧倒的だ。ピアノコンチェルトのフォーマットを6人編成のコンボにアダプトした5分に満たない演奏だが、ハイライトは何と言ってもビル・エヴァンスのカデンツアだ。曲のタイトルからしてビル・エヴァンスに因んだものだから当然だが、この演奏の主人公は彼なのである。演奏メンバーは、トランペットにアート・ファーマー、アルトサックスでハル・マクシック、ビル・エヴァンス、ギターにバリー・ガルブレイス、ベースはミルト・ヒントン、そして、ドラマーは後のトリオ編成でおなじみのポール・モチアンだ。作曲家でアレンジャーのジョージ・ラッセルは革新的な作曲家でありアレンジャーだが、ジャズのスイング感を何よりも大切にしていた。
 ビル・エヴァンスのソロが圧倒的と書いたが、アート・ファーマーのソロも良く、全体として刺激的で魅力的な作品だ。この曲については詳細なアナリーゼがあるので、それを簡単にまとめてみる。
 この曲のアレンジは、通常のハーモニーではなく、一連の不協和音階またはモードに基づき、頻繁なリズムの変化と短く分断化されたメロディで猛烈にスイングする。
 最初のビル・エヴァンスのピアノは書かれたものだが、次はI’ll Remember Aprilのコード進行に基づくカデンツアで、つまり、エヴァンスは自由にインプロヴァイズすることができたわけだ。バンドは次のコードを合いの手のように示すのみで、エヴァンスは歯切れの良いパーカッシブなプレイを繰り広げ、次いで、ベースとドラムが奏でるステディなリズムに乗って最初は右手だけでポリリズミックな三連符を執拗に繰り返し、最後はブルージーなフレーズを奏でながら、アート・ファーマーのソロへと繋ぐ。
 この演奏には別テイクがあるのだが、ステレオになっていて、個々のプレイヤー(特にピアノ)の動きはわかりやすいが、まとまり感というかスイング感ではモノラルに及ばない。

Concerto for Billy the Kid

 ジョージ・ラッセルのバンドマンとしての演奏では、All About Rosieでのソロも聴きものだ。三部構成の曲で、躍動感あるエヴァンスのソロは第三部のパートで聴くことができる。
 この他に、「才人ジョージ・ラッセルが持てる力を遺憾なく発揮した!売り出し中のジョン・コルトレーンやビル・エヴァンスを擁したオーケストラが、ラッセル描くマンハッタンの情景を見事に活写する」と惹句にあるが、その通りのNew York NYも好きなアルバムで、特にEast Side Medley:“Autumn in New York”/”How About You”において、エヴァンスがハープのようにピアノを響かせる無伴奏のイントロからトリオ演奏に移っていくところなど何度聴いても良い。

All About Rosie
East Side Medley:“Autumn in New York”/”How About You”

 ビル・エヴァンスの演奏は常に「繊細」と形容されるが、「繊細かつ強靭な」と言うべきで、それは、初期のこうした録音を聴くことで実感できるはずだ。

 ビル・エヴァンスは歌伴も多く、モニカ・ゼッタールンドやトニー・ベネットとの共演が有名だが、オーケストラのメンバーとして歌手のバックアップをしているものもある。
 1961年に録音されたマーク・マーフィー(Mark Murphy)のアルバムRahがそれだ。
 この録音メンバーはすごく、トランペットでクラーク・テリー、ブルー・ミッチェル、取トロンボーンはジミー・クリーブランド、ベースにはジョージ・デュヴィヴィエ、ドラムでジミー・コブなどが参加し、さらには、ピアニストとして、ビル・エヴァンスの他にウィントン・ケリーまでいて、しかも、この二人のどちらが何を伴奏しているのかのクレジットもないのだ。と言うことは、アレンジ(アーニー・ウイルキンス)の指示(ペン)の通り演奏しているに違いない。とは言え、この両者はそもそも演奏スタイルがかなり違うので、見分けがつくだろうと思い、耳を澄ましてみたが、どうもよくわからない。ただ、いわゆるコンプの部分では、ピアニストの個性がはっきりと聴きとれることもある。
 その結果、これがビル・エヴァンスだと自信を持って言えるのは、Green Dolphin StreetSpring Can Really Hang Up You the Mostの二曲。Milestoneはウィントン・ケリーで、これは曲想からいって不思議ではない。もう一曲、Li’l Darlingではベイシー調のピアノスタイルから間違いなくウィントン・ケリーだ。

Green Dolphin Street

 昔、Tさんという上司がいて、T大卒で長身かつハンサムな方で、お得意さんに二人で出かける時は、大学教授とその助手のようだと言われたものだ(もちろん、私が助手です)。その方の佇まいがPortrait in Jazzのカバーのビル・エヴァンスによく似ていたので、その旨申し上げたら、一瞬顔を曇らせた。当時(今でもか)はジャズと言えば黒人プレイヤーだったので、「黒人ジャズマンに似ている」と言われたと思ったのかもしれない(Tさんが人種的偏見の持ち主だったというわけではない。いろいろな意味でオープンな方だった)。そのころ、ビル・エヴァンスを知っている人間は一握りのジャズファンだけだっただろう。
 その方も亡くなり、ビル・エヴァンスも逝ってしまった。ただ、その方の記憶とビル・エヴァンスの録音はまだ残っている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です