ホフスタッターの陰謀論とパラノイド・スタイル(7)

陰謀論とパラノイド・スタイルは国家を超える 

「これまで私は米国の例をかなり中心に描いてきたが、パラノイド・スタイルそのものは国を超えた現象であることを再度強調しておきたい。また、これは今の時代に限ったことではないのである。それは次のような強い思い込みと幻想によって成り立つものなのである。「自らは神に選ばれた者で、完全なる善であり、言語道断な迫害を受けているが最終的には過たず勝利するとの誇大妄想的自己像、宿敵に巨大かつ悪魔的な力を付与すること、知性あるいは道徳面において、儚さ、意見の相違、葛藤、誤りを起こす可能性などの限界を認めないこと、予言は絶対に確実との思い込み、体系的な誤った事物の解釈、常に粗野でしばしば異様さを帯びること、その性質から言って実現不可能な目的を達成に向けられた仮借なさ、その目的とは完全かつ最終的な問題解決で、いずれの時代においても、またどのような具体的状況においても達成不可能だが、時に影響を受けず、外に対して閉じられた幻想の世界でのみ達成できるものなのである。」

「長い時を経て、また、様々な場所でパラノイド・スタイルが繰り返し現れるということは、世界をパラノイド的に観がちなメンタリティを持つ人々が少数でも無視できない程度に存在するという示すものだ。しかし、パラノイド・スタイルを利用する運動が常にではなく時折連続的に発生するということは、パラノイド的性向が根本的価値体系を巻き込み、政治行動に交渉可能な利害関係でなく恐怖および憎しみを持ち込む類の社会的葛藤によって駆り立てられることを示唆している。突然の大惨事あるいは大惨事に対する恐れがパラノイド的レトリックの病的現象を引き起こす可能性が高いのである。」

「米国が経験してきたことでは、価値体系のすべてが埋没するとの恐れを伴った人種的、宗教的な葛藤が戦闘的で疑い深いパラノイド的メンタリティの持ち主の主な関心事であったことが明白だが、米国の外の世界では、階級闘争がこのような勢力を駆り立ててきたのだ。互いの価値観が調停不可能なものであるために通常の政治的プロセスである取引や妥協を受け入れない(あるいはそのように見做された)価値の対立によってパラノイド的性向が刺激されるのである。ある特定の政治的利益を代表する者が、おそらくはその要求が非現実的かつ実現可能性が低いために、政治プロセスにおいて十分な影響力を発揮できないと感じた時にこの状況は深刻化する。政治的交渉または決定を下す場への参加が閉ざされていると感じた時、権力の世界は絶大であり、邪悪で悪意あると元から抱いているイメージがますます確かなものとなるのだ。彼らは権力がもたらす結果しか見ない。しかも、そのレンズは歪んでいる。権力が実際にどのように機能するのかをじっくり観察する機会はほとんどないのである。」

陰謀論の超克は可能か

「歴史研究で得られる最も重要な成果は、或ることがどのようにして起きなかったかを直感するセンスを得ることだ」 この論の締めくくりにホフスタッターは英国の歴史家、L. B. ネィミアのこの言葉を引用し、そしてこう結ぶ。

「この意識こそパラノイドが養えないものなのだ。もちろん、パラノイドにはこのような意識に対する耐性のようなものがあるのだが、一方で、彼が置かれた状況が啓発に繋がるかもしれない出来事に触れる機会を奪うということもあるだろう。

われわれは皆歴史の犠牲者である。しかし、パラノイドは二重の意味で犠牲者なのだ。彼はわれわれと同じく現実世界に苦しめられ、その上自らの幻想にも悩まされるのである。」

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