ホフスタッターの陰謀論とパラノイド・スタイル(2)

 さて、肝心の『パラノイド・スタイル』だが、内容的には過去に遡って、宗教的対立の話なども出てくるので、やや面倒で、煩雑と見做されるかもしれない。それでポイントを絞って紹介したい。まず、冒頭だが、これは大事なので、省略はしない。

「米国の政治の世界において極めて深刻な階級闘争の影響を受けることは非常に稀だが、一方で、繰り返し異常なほどの怒りに満ちた心の戦いの場となってきた。今日、このことは極右勢力で顕著で、とりわけバリー・ゴールドウオーターに関わる運動はごく少数の人々の激情や憎しみが梃子となることでどれだけの政治的影響力が引き出されるかを示すものだ。こういった運動の背景にはある種の心の有り様(a style of mind)が存在し、それが関わるのは必ずしも常に右翼に限ったことではないのだが、その歴史は長く、しかも多様である。これをパラノイド・スタイル(paranoid style)と呼ぶことにしたい。これ以外の言葉では、過激な誇張、疑い深さ、そして陰謀の幻想といった私が思い浮かべる特徴を喚起できないのだ。パラノイド・スタイルという言葉を用いても、臨床的な意味で語るつもりはない。臨床的用語を別の目的に拝借するのである。また、過去現在にわたってある人々が疑いなく精神を病んでいたなどと診断する能力はなく、また、そうしたいとも思わない。パラノイド・スタイルと言う考え方を深刻な精神障害を患う人々にあてはめても、今の時代との関連もなく、歴史的にも意味がない。概ねノーマルな人々が意見を表明する際にパラノイド・スタイルを使うということがこの事象を重要ならしめるのである。」

 バリー・ゴールドウオーターは現代米国の保守主義運動の象徴的政治家であり、アリゾナ州選出の上院議員で1964年の大統領選挙で穏健派のロックフェラーを破り共和党の候補となったが、選挙ではジョンソンに歴史的大敗(獲得選挙人52対486)を喫した。ゴールドウオーターは、米国公民権法に反対し、同法に対する不満を抱く南部の白人層を取り込み、共和党の南部への進出を図った。また、「ヴェトナムにおいて核兵器の使用もある」とした彼の発言は、彼が大統領に当選すれば核戦争が勃発するとのジョンソン陣営のネガティブ・キャンペーンに使用されることになった。この共和党の候補としてのバリー・ゴールドウオーターの登場がホフスタッターに米国政治への危機感を抱かせ、パラノイド・スタイルなどの米国の右翼について執筆する契機となった。続けよう。

「私がパラノイド・スタイルについて述べる際は、ちょうど美術史家がバロックやマナリスト(ヨーロッパの盛期ルネサンスからバロックに至る間の芸術現象を特定する様式概念)様式について語るようにこの言葉を用いる。なによりもこれは世界をどのように観て、自分をどのように表現するかということなのだ。ウエブスター辞書の定義によれば、臨床的な実体としてのパラノイアは、他者が自分を攻撃しているという系統的な妄想および自己誇大化によって特徴づけられる慢性的精神障害のことである。私が考える政治におけるパラノイド・スタイルでは被害の感情がその中心を占め、壮大な陰謀論においてまさに系統的なものなのである。しかし、パラノイド的政治スポークスマンと臨床上の偏執病患者の間には重要な違いがある。激しやすさ、過度の猜疑心、攻撃的、誇大さ、そして終末論的物言いで両者には共通するところがあるのだが、臨床患者の場合、彼が棲むところの敵対的かつ陰謀に溢れた世界は己に直接向けられたものなのである。一方で、パラノイド・スタイルのスポークスマンはそれが世界、文化と言ったその命運が彼のみならずその他数百万の人々に影響を与えるものに向けられていると見るのだ。自身を陰謀の特定的対象と見做さないことで彼はより論理的であり、より無私であると言える。己の政治的情熱が利己的なものでなく、さらに愛国的なものであると思うことで、自分が正しいという感情および社会悪に対する利害を超えた憤りがさらに高まるのである。

 もちろん、パラノイド・スタイルという言葉には非難の意があり、私はそのように意図している。つまり、パラノイド・スタイルは正しいものより誤った主張との親和性が高いのである。しかし、健全な計画あるいは正しい論がパラノイド・スタイルによって擁護されることを妨げるものは何もない。実際、ある議論の提示のされかたにパラノイド的口調を耳にしたからと言ってその議論の価値を云々することには無理がある。スタイルと言うものはある考えが信じられ擁護される仕方に関係するのであって、その内容が真実であるか偽りであるかにはあまり関わらないのである。」

 ホフスタッター陰謀論を生み出すメンタリティをはっきり病理的なものだと見做しているわけだ。確かに、過度の猜疑心、攻撃性、誇張を伴う点で病理としてのパラノイドと共通している。この後、火器の郵送販売取り締まり強化法案に対する陰謀論的な抗議活動などの実例を挙げ、極論を繰り広げる陰謀論の「正当性」に疑義を呈している。

「つまり、芸術において見苦しいスタイルがそれを生み出す審美眼の根本的欠陥に目を向けさせるように、議論の歪んだスタイルは議論そのものが歪められたものであることを警告するきっかけとなりうるのだ。ここでの私の関心事は政治上のレトリックが政治上の病理を理解するための手がかりとなる可能性である。これと関連して、パラノイド・スタイルに関する事実で最も注目すべきなのは、それの表現が幾度となく猜疑心に満ちた不平不満の運動との関連で、それぞれ明らかに別な目的を抱く人々によって取り入れられながら、ほとんど代わり映えしない内容で公の場で繰り返し発せられれてきたということである。また、過去の例から見て、パラノイド・スタイルが現れるその激しさには強弱があるものの、それを根絶することは非常に難しいのだ。」

私がパラノイド・スタイル説明するのに米国の歴史を例にとるのはひとえに私が米国史学者であり、私にとって好都合だからである。しかし、この事象は今日に限ったことではないのと同様に米国のみが経験してきたわけではない。近年の歴史を見ても、イエズス会、フリーメーソン、資本家、ユダヤ人、共産主義者等々によって国を跨った大規模な陰謀が企図されているという考えが抱かれるのは多くの国でよくあることなのだ。パラノイド的に話をでっちあげるのは何も米国の専売特許ではなく、ケネディ大統領の暗殺に対するヨーロッパの反応を見ればそれがよくわかるだろう。さらに重要なのは、現代史におけるパラノイド・スタイルの完全な勝利と言える唯一の例は米国でなくドイツで起きたのである。パラノイド・スタイルはファシズム、そして鬱屈したナショナリズムに共通する要素だが、往々にして左翼の出版物にもそれが見いだされる。悪名高いスターリンによる粛清裁判は司法のスタイルを借りた恐ろしく想像力に富みかつ破壊的なパラノイド・スタイルの行使を組み込んだものであった。米国においては、パラノイド・スタイルは限られた少数者の活動において好まれるものとなっている。しかし、他の西欧諸国の場合よりも、米国の歴史に固有の要因によって米国におけるパラノイド・スタイルの影響の範囲がより広くより強くなると論じることも可能である。」

 ホフスタッターは、これからいくつかのパラノイド・スタイルの典型的言説を例として挙げ、年を隔てていても、その内容は似通っていることを示し、以下のように続けている。

「これらの引用はそれぞれ50年の間を置いたものだが、この思考スタイルが根本的にどのようなものであるかを示している。合衆国の歴史を見るとこのようなものは、反フリーメーソン運動、ネィティビスト(nativist 移住民などの排斥を目指す排外主義者)、反カトリック運動、米国が奴隷所有者たちに支配されていると見做す奴隷解放論者の一部の代弁者、モルモン教に不安を抱いた著述者たち、国際的金融機関の大いなる陰謀を描き上げたグリーンバック党(1874年から1889年の間に活動した独占禁止イデオロギーを持つ米国の政党)および人民党の書き手たち、第一次世界大戦におけるある軍需品製造者の陰謀の曝露、大衆向けの左翼出版物、それと同時代の米国右翼の出版物、人種論争の双方の当事者である白人市民会議(WWC 米国の南部で,白人優越主義に固執する白人により結成された組織)とブラックパンサー党(1960年代後半から1970年代にかけて米国で黒人民族主義運動・黒人解放闘争を展開していた急進的な政治組織)などに見ることが出来る。

これらの活動に見いだされるパラノイド・スタイルのすべてのバリエーションをフォローしようとは言わないが、米国の過去の歴史においてまさに典型的かつ十全な形で現れた重要な事例に限定して述べることにしたい。」

 米国におけるパラノイド・スタイルの実際とその分析については次回以降に紹介したい。

ホフスタッターの陰謀論とパラノイド・スタイル(3)に続く

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