ホーギー・カーマイケルについて

ホーギー・カーマイケル

 SGさんが触れていたホーギー・カーマイケルについてはそれなりに思い入れがあるので一言書いてみたい。

 昔、テレビが貴重な娯楽源だったころ、民放の各放送局の主要なテレビドラマ枠はほぼ輸入物、それもアメリカのドラマで占められていた。私の記憶の範囲で古いものから挙げてみょう。()内は原題と日本における放映開始の年だ。

 まず、『名犬リンチンチン』(The Adventures of Rin Tin Tin、1954年)、『名犬ラッシー』(Lassie、1957年)、『スーパーマン』(The Adventures of Superman、1956年)、『ローン・レンジャー』(The Lone Ranger、1959年)、『ローハイド』(Rawhide、1959年)、『パパは何でも知っている』(Father Knows Best、1958年)、『世にも不思議な物語』(One Step Beyond、1959年)、『拳銃無宿』(Wanted Dead or Alive、1959年)、『ララミー牧場』(Laramie、1960年)、『うちのママは世界一』(The Donna Reed Show、1961年)、『コンバット』(Combat、1962年)、『ベン・ケーシー』(Ben Casey、1962年)、『タイムトンネル』(Time Tunnel、1967年)などがあり、結構な数だ。日本のテレビ放送はNHK、民放ともに1953年開始で、テレビの普及台数が200万に達したのは1959年だから、黎明期のテレビはアメリカのドラマによって支えられてきたのだ。いずれも、アメリカでオンエアが開始されてからすぐ日本に導入されているのが興味深い。このころの日本の放送界には相当な目利きがいたのだろう。

 『名犬ラッシー』のおかげで日本にコリー犬が増え、『ローン・レンジャー』は、「ハイヨー、シルバー(Hiyo Silver)」、「インディアン嘘つかない(Honest Injun)」などの言葉と銀の弾(アメリカ版銭形平次だ。よほど腕が良くないと銀の弾は使えません)、『スーパーマン』は「空を見ろ、鳥だ!飛行機だ!いや、スーパーマンだ!」でおなじみ、『ローハイド』には若きクリント・イーストウッドが出演、『コンバット』はサンダース軍曹、『拳銃無宿』はスティーブ・マックイーン、『うちのママは世界一』は美人女優、シェリー・フェブレーがJohnny Angelを歌っていたし、『ベン・ケーシー』は当時としては異色な医療ドラマで、タイトルバックの「♂ ♀ ✳ † ∞」(「男、女、誕生、死亡、そして無限」と吹き替え)、黒板にチョークで書く場面が印象的。

『ララミー牧場』でのホーギー・カーマイケル

 前置きが長くなったが、1960年から放映された『ララミー牧場』に出ていたのが、ホーギー・カーマイケル(Hoagy Carmichael)なのである。この番組は第3シーズンまであったそうだが、その第1シーズンに出演していた。なんと、ジュリー・ロンドンも第2シーズンの1話のみにゲスト出演していたのだが、彼女は女優でもあったので、出演しておかしくはない。私が驚いたのは、イアン・フレミングのジェームズ・ボンドシリーズの『カジノ・ロワイヤル』の中に、‘He is very good-looking. He reminds me rather of Hoagy Carmichael, but there is something cold and ruthless in his …’という文章があったのだ。つまり、ジェームズ・ボンドは二枚目であり、非情な目つきを除けばホーギー・カーマイケルに似ているというのだ。ジェームズ・ボンドと言えばショーン・コネリーでしょうがと思ったが、30代くらいのホーギー・カーマイケルの写真を見ると、それなりに味がある。ちなみに、ボンド俳優の中ではダニエル・クレイグがこのイメージに近く、意識したキャスティングだろう。

 ホーギー・カーマイケルはもちろん作曲家として最も有名で、彼の手になる主要な作品は、お馴染みStardustGeorgia on My Mindの他にも、Heart and SoulRockin’ ChairThe Nearness of YouSkylarkIn the Cool. Cool, Cool of the Evening(アカデミー歌曲賞)、Thanks for the MemoryTwo Sleepy PeopleMenphis in Juneなどがある。いずれも力いっぱい歌い上げるような曲ではなく、口ずさむ小粋な唄で、ジャズボーカルに向いている。Stardustと言えばヴァースから歌い上げるキング・コール、楽器演奏で有名なのは、ライオネル・ハンプトン・オールスターズのライブ演奏、Georgia on My Mindだとレイ・チャールズと言うことになるのだろうが、後者に関してはビリー・ホリディの古い録音も悪くない。最近だと、アレンジがやや大仰なことを除けば、マイケル・ブーブレがいい。Rockin’ Chair と言えば、アームストロングと一緒のジャック・ティーガーデンのレイジーなボーカルがすぐ思い浮かぶ。とにかく、ホーギー・カーマイケルの曲はボーカルでもインストルメンタルでも名演が多く、選ぶのは難しい。The Nearness of Youは私の好きな曲で、ノラ・ジョーンズも歌っていて、少し重いが、ジョニー・ハートマンも悪くない。面白いのは伊東ゆかりで、素直な歌いぶりで、níɚ:nəsとアメリカ英語できちんと発音しているのも良い。1964年の録音だ。SGさんが取り上げていたリンダ・ロンシュタットのSkylarkはネルソン・リドル風アレンジで、実際にネルソン・リドルをバックに歌っているのはエラ・フィッツジェラルドだが、この二人の個性は全く違う。アニタ・オディのバージョンも良かった。Thanks for the Memoryも録音が多いが、この曲を最初に聴いたのはミルドレッド・ベイリーのもので、なかなか良かった。しかし、バリトン奏者、サージ・チャロフの演奏がすばらしい。バリトンでこんなにもすばらしいバラードが吹けるとは驚きだ。Menphis in Juneも粋な小唄だが、マット・モンローのバージョンが好みだ。この人は『ロシアより愛をこめて』で一躍有名になったが、他にもすばらしい歌唱があり、私の好きな歌手の一人だ。

 ホーギー・カーマイケルは1899年の生まれで、ほぼ同時代人のビックス・バイダーベックとはかなり親しい関係だったようだ。他のところで触れたビックスの演奏、Riverboat Shuffleがホーギー・カーマイケルの作品なのだ(オリジナルのタイトルはFree Wheeling)。

Hoagy Carmichael Riverboat Shuffle

 さて、ホーギー・カーマイケルがビックスに関して話している内容は、SGさんのブログにあるように、ビックスの影響を受けているばかりでなく、そのソロやフレージングを実際に作曲に使っているかどうかということだ。

 ディック・サドハルタ―(Richard Sudhalter、コルネット奏者、ジャズ評論家、ビックス・バイダーベックの伝記(Bix:Man and Legend)および、ホーギー・カーマイケルの伝記も書いた)が、1927年録音のホーギー・カーマイケルのStardustはそのメロデイ作りと実際のソロでビックスのフレージングを反映させ、それはSkylarkにも明らかだと指摘した。

 クラシックにインスパイアされたビックスの和音の工夫がカーマイケルのピアノソロに使われているのだ。ポピュラーソングの批評家、ウィル・フリードワルドは「(Stardustの)メロデイにはジャズの即興演奏の感がある。特に2小節の異なるフレーズを重ねながら、最後に長いフレーズで締めくくると言うやり方がホーギーのヒーロであるビックス・バーダーベックを感じさせる。」と述べている。

 こういうことに対するカーマイケルの答えがインタビューの中にあるのだが、SGさんが書いている通り、ビックスからもちろん影響を受けているが、音やフレーズをそのまま使ったということはないと否定している。Stardustの曲想については、「ある晩、キャンパスを歩いているときにアイデアを思い付いた。大学のたまり場を出たところで、口笛を吹き始めたのだが、それがStardustのオープニングのメロデイで、今までのものとは違う別なものだとすぐわかった。」と述べている。ビックスの影響云々はともかく、ルイ・アームストロング(ビックスを通じて会った)の影響はおおっぴらに認めていて、第3小節と第4小節にはアームストロングのメロデイの影響が明らかで、カーマイケルはこの部分アームストロングのPotato Head Bluesを引用したと語っている。

Hoagy Carmichael Stardust (1927)
Louis Armstrong his Hot Seven Potato Head Blues (1927)

 Stardustについてのビックスの反応は、カーマイケル自身の言葉によると、「ビックスからの曲についての言葉はしばらく何もなかったが、ついにある日、ビックスがとても丁寧な口調で、ホーギー、あの君の曲のことだが、あれはすごくいい曲だね、と言ってくれたのだ。最高の気分だった。」とある。

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