アート・ペッパーについて

 GSさんがアート・ペッパーの初来日公演について書いていて、その時私に出会ったことに触れているので、私もアート・ペッパーについて一言書いておこう。

 私がアート・ペッパーを初めて聴いたのはいつごろだったろうか。それより、彼について読んだのが先で、それは粟村政昭氏の『ジャズ・レコード・ブック』(東亜音楽社 1968/75/79)で目にしたからだ。粟村氏は自分が気に入ったプレイヤーについてのみ書く人なので、彼がその存在に触れたということは、ぜひ一聴すべきと推奨しているのだ。

 早速、銀座の山野楽器に行き、Art Pepper Meets the Rhythm Sectionを手に入れた。もちろん、30センチLPである。一聴してまず「音が軽い」と感じた。当時、私にとってアルトサックスと言えばチャーリー・パーカーであって、基準だから、白人のアルトの音ってこういう風なのだ。黒人と白人の声域の違いなのかとも思ったりしたが、チャーリー・パーカーの音が独特なのだ。パーカーはRico#5という「床板のように」硬いリードを使っていたという話もある。アート・ペッパーのサウンドは、軽いのではなく、彼の音はピュアなアルトサックスの音そのものだとわかった。

 アート・ペッパーの録音では、スタン・ケントン楽団のメンバーとして演奏したものが最も古く、私が持っているもので彼のソロが聴けるのは、1942年のHarlem Folk Dance、戦争から帰って楽団に復帰した1947年には、Unison RiffCuban CarnivalJourney to BrazilHow High the MoonそれにHarlem Holidayの6曲だ。アート・ペッパーが18歳、そして22歳の時だが、1947年時点で人を納得させる演奏をしている。チャーリー・パーカーの影響を受けていると思っていたが、パーカーの最盛期は1945年から1948年なので、それに重なり、パーカーとは別に独自のスタイルを作り上げていったわけだ。1947年の演奏では、Unison Riff、それにジューン・クリスティの瑞々しい歌声が聴けるHow High the Moonのソロが聴きもので、短いが、存在感は十分だ。スタン・ケントン楽団には若き日のスタン・ゲッツも在籍していたが、私が持っている録音ではゲッツのソロを聴くことが出来ない。ペッパーの方が「格上」だったのだ。

 スタン・ケントン以前、ペッパーはベニー・カーターの楽団にいたので、ベニー・カーターの影響を強く受けているそうだが、スタイルはだいぶ違う。ペッパーが紡ぎ出すフレーズは短く、小刻みで、それらを空中に吐き出すと言うよりは、掌に入れて転がすようであり、小さな音にも心を配っている。また、リー・コニッツのようなウエスト・コーストジャズ特有のクールなトーンではなく、どのテンポでもエモーショナルだが、過剰にエモーショナルになることはなく、コントロールされている。コントロールされているとは、「泣かない」ということで、人が泣くのは言葉を失うからであり、アート・ペッパーが自分の言葉を失うことはなく、ユニークな言葉で常に我々に語りかける。

 その言葉をじっくり聴くことが出来るのは、薬物中毒から復帰した1956年から57年にかけて録音したもので、アルバムであれば、Modern Art Vol.2(これのVol.1というのは見たことがない)、前述のMeet the Rhythm Section、The Return of Art Pepper、The Art Pepper Quartetに数多く含まれている。このうち、Meet the Rhythm Sectionでは、どの演奏も良いが、オリジナルの曲を自分の言葉で再構築するStar Eyesがペッパーらしい。Straight Lifeはこの時期いくつもの録音があるのだが、オールアメリカンリズムセクションをバックにしたこの演奏を第一としよう。 Modern Artでは、Susie the Poodleのプレイが、チャーリー・パーカー並みのスピードでフレッシュなフレーズがよどみなく連続するペッパーの真骨頂を示す。Blues Inはスローなテンポでベース一本をバックに聴かせるのだが、変幻自在のフレージングがピアノとドラム不在を忘れさせ、シンプルかつブルーススピリットに溢れる演奏となっている。The Art Pepper Quintetでは、Besame Muchoが有名だが、特に2コーラス目を聴いてもらいたい。

 お姉さんがサーフィンしているポップなイラストでジャケ買いを誘うSurf Rideの録音は薬物中毒入院前の1952年から1953年にかけてのものだが、ペッパーのプレイはすでに完成されており、Tickle Toeでは、レスター・ヤングをパラフレーズして、なかなか聴かせる。テナーのジャック・モントローズとのセッションはすべてがいいが、中でもスタンダードナンバーのThe Way You Look Tonightが好みだ。レイドバックなスタイルのモントローズのテナーに少し神経質にさえ聴こえる繊細なペッパーのアルトが絡み、二人がそれを楽しんでいることが聴く方にも伝わってくる。ペッパーには同じテナーのウオーン・マーシュともデュオの録音があり、All the Things You Areなどなかなかいいが、フレージングにメリハリのあるモントローズとの共演のほうが良い。

 GSさんが書いているアート・ペッパーの1977年4月1日の初来日公演の記憶は私にも強く残っている。たまたま公演の当日にチケットがあるから行かないかと声がかかり、カル・ジェイダーなんて知らんとうそぶいたら、実はアート・ペッパーが来るのだと聞いて、それなら行くと郵便貯金ホールまで出かけた。

 アート・ペッパーさん本当に出るのかいなと思いながら、カル・ジェイダーバンドの演奏を聴いたが、これが退屈なもので、クレア・フィッシャーのエレキピアノの音に締まりがなく、レスターとやったハモンドオルガンの方がマシであると思った。その時記憶に蘇ったのが、1966年7月1日のThe Beatlesの日本公演で、学校を抜け出して武道館まで行き、かなり後ろの上がった席で、その時点から既に半狂乱状態のお嬢さんたちに囲まれてThe Beatlesの出演を待ったのだが、前座で、ブルーコメッツはともかく、ドリフターズが出てきたのには驚いた。コミックバンドを出すなんてこの公演の主催者は何を考えているのだろうかと高校生ながら思ったものだ。カル・ジェイダーのバンドがドリフターズであるとは言わないが、「アート・ペッパーの前座」には違いない。演目はラテンジャズで、一緒に来ていた同期に「常磐ハワイアン音頭のようなものだな」とささやいた覚えがある。カル・ジェイダーもクレア・フィッシャーも並みのミュージシャンではないのだが、とにかく、アート・ペッパーを聴きに来た日本のジャズファンの心に響く演奏ではなかった。

 さて、ようやくペッパー氏が登場したわけだが、思っていたより若々しい感じで、録音で聴いていた1956~57年のものよりもやや厚みのある音だったが、フレージングはペッパーそのもので素晴らしいと思った。グラスから透明な飲料を飲んでいて、てっきり水だと思い、喉が渇くだろうと思って見てたりしたが、GSさんの話ではアルトの朝顔からジンの香りが漂ってきたそうだ。おそらくストレートで飲んでいたのだと思う。

GS’s blog  アート・ペッパー初来日公演

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