『人工知能と経済の未来』を読んで 3~  ~~ソリューションとしてのベーシックインカムの可能性

「ベーシックインカム(UBI)は社会保障制度以上のもの」

 井上駒澤大学准教授の著書では、AIがもたらす大失業時代におけるソリューションとして「ベーシックインカム(BI)」が必要となるとの印象を与えるかもしれないが、実は、井上准教授が述べているように、「BI論」は欧米を中心に長年にわたって提唱、議論されてきた新たな社会保障制度であり、井上准教授もBIの必要性を述べるためにAIをその実現の契機として論じているのだろう。

限定かつ特定条件に当てはまる人だけに給付することをBI(ベーシックインカム)と表現することが多く、それらは今までの社会保障と変わらないため、社会保障とベーシックインカムは混同されて語られることが多い(被災者への給付等)。無条件で国民に一定の金額を給付するベーシックインカムはこれと区別するためUBI(Universal Basic Income)と表現され、現在では、ベーシックインカム=UBI表記が一般化しつつある。

 経済学者だけでなく、地球環境学者、人類学者などもUBIの必要性を論じており、最近目にしたものでは、英国の地球環境学者たちが「新人世(アントロポセン)」の時代にあって悪化の一途をたどる地球環境の改善のために必要な施策として、

「UBI、地球の再野生化{さい やせい か}(リワイルディング:人間が開発した場所を自然な状態に戻したり、絶滅の危機にひんした動物を再び野に放ったりすることによって、生態系を回復させること)、クリーンエネルギー、そして、AIとインターネット」(S.L. Lewis、M.A. Maslin  前掲著)の4点を挙げ、UBIを施策のトップに置き、そのつながりはともかく、UBIとAIを別個に考えている。UBIによって生じるメリットは、「UBIを受給されることで環境に負荷を与える仕事の義務を負う必要がなくなる。」ことであり、「人々がその労働力を売り、常に生産的であることを要求されることが消費力を増大させることによって償われる」ネガティブなダイナミズムを解消し、仕事を減らし、消費を減らすことで、「仕事と消費の連鎖を断ち切る」ことがUBIのもたらすベネフィットの一つであるとしている。

「アントロポセン」(Anthropocene)とは、ホモサピエンスが登場してからの新たな地質年代の名称として、日本語では「人新世」(「じんしんせい」または「ひとしんせい」と読む。人類の時代という意味。人類の活動が、かつての小惑星の衝突や火山の大噴火に匹敵するような地質学的な変化を地球に刻み込んでいることを表わす新造語。

 また、すでに引用したD.グレーバーは、「結局、ベーシックインカムが企図していることは暮らしを仕事から引き離すことで、その直接的影響としていかなる国においても官僚的仕事の大規模削減をもたらすことである。」(D.Graeber  前掲著)と述べ、さらに、「完全なるベーシックインカム(UBI)は、すべての人々に正当な生活水準を保証することで、仕事に対する衝動を除去することになるだろう。そして、報酬をもらうか物を売るかでさらなる豊かさを追求するか、余暇を使ってやりたいことを行うか、それはそれぞれの人に任せられるだろう。人は働くことを強いられるべきでなく、少なくとも有用な、あるいは他者にとって役に立つことをすべきであるとの仮定は妥当なものなのだ。」(同上)

 つまり、欧米では近年、「健康で文化的な最低限度の生活」を担保する社会保障制度以上のものとして、「仕事に使われる」人間の疎外感を解消するため、そしてそれが人間の仕事観と働き方を変えていくことで危機に瀕した地球環境の改善にもつながるUBIの可能性が論議されている。つまり、UBIは社会保障制度というより社会改革制度と見做されるべきものだと言える。
 UBI推進の倫理的あるいは思想的な理由として、
①社会的正義の実現
②人間の自由の実体化
③貧困、不平等、不安定さの減少、
の3点が挙げられている。G. Standing  Basic Income and How We Can Make It Happen  Pelican Books、2017)
この3つのそれぞれをここで紹介することはできないが、ともかく、その狙いは社会保障の枠を超えたものだということが分かる。

井上智洋著:人工知能と経済の未来
文春新書

『人工知能と経済の未来』では、「AIによって人間の仕事が代替される」ことを可能性として論じ、そのソリューションとしてのBIを論じているが、そもそもその仕事とは何か、現代の人々にとって仕事とは何を意味するのかには触れていない。

 UBIを巡る議論で最も興味深いのは、労働をどのように捉え、どういった仕事にどのような価値を見いだすのかということを問い直しているという点であり、地球環境学者も人類学者もこの点に多大な関心を払っている。UBIに批判的な意見の一つに、何の対価もなしに金を配るのはよくないというものがあるが、それに対してUBIの推進者は、従来の「給料をもらう仕事」という狭い仕事観にとらわれなければ、我々が社会に貢献できる仕事はすでにたくさんある。例えば、育児、ボランティア活動、自然保護への取り組みなどはすべて、私たちの社会をよくするためのものだ。しかし我々は、『給料をもらう仕事』の方により重きを置き、給料の出ない社会貢献などの大事な仕事を後回しにしてしまいがちだと反論している。

 英国のバース大学教授で、ベーシックインカムの推進者の一人であるG.スタンディングは、現代の資本主義社会における「何が仕事であり、何が仕事でないか」の線引きは最も捻じ曲がったものだと断じ、市場で対価を伴わない仕事は仕事ではないとの考えは20世紀特有のものだと述べている。「100年前にA.C.ピグー(A.C. Pigou英国の経済学者)は実に的確に指摘している。ある人が家政婦を雇えば、国民所得は上昇し、経済も成長、雇用は増大し、失業が減る。しかし、その後雇い主がその家政婦と結婚し、彼女がまったく同じ仕事を続けても、国民所得および経済成長は下降し、雇用は減少、失業が増えることになるのである。これは不条理である。(しかも、女性差別的である)」(G. Standing 前掲著)

 今後、生活における比率と重要性が高まることが予想される「報酬を伴わない仕事」について、UBIはこれらの仕事への報酬と言う意味も持っている

UBIの導入が仕事にどのような影響を与え、どのような結果をもたらすかについては、すでに世界の各地でベーシックインカムの実験的導入が行われ、その結果も出つつあるので、上記の著書からその一部を紹介したい。

●米国におけるUBIの実験的導入では、UBIを受け取った人々は生活の向上を図ることに積極的になり、そのために資格を取り、新たに起業することが増えた。また、高校卒業率も2桁アップ。

●人々はしたい仕事を求めるようになり、肉体労働から仕事(from labor to work)への転換が増加した。

などのポジティブな結果が出ており、人々の仕事に対する意識および仕事の内容の変化を促進していることがうかがえる。

 結論すれば、UBIは、「人々が最も重要だと感じる仕事を行うための刺激と機会を増大させる。さらに良いことは、さらに実りの多い余暇活動を楽しむ欲求とその可能性を生じさせることだ。絶え間ない労働と消費を基盤とした経済的システムにあって、我々はペースを落とさなければならない。ベーシックインカムはそうすることの助けになるだろう」(G. Standing前掲著)

 UBIに対しては様々な反対論があり、例えば、UBIを全ての国民に給付するための財源をどうするのか、
 福祉国家の解体につながる(UBIが様々な福祉施策を代替するとの前提で)、完全雇用を目指す進歩的政策と合致しない、貧乏人と金持ち一律に給付するのは愚かなことだ、ろくでもないこと(酒、ギャンブルなど)の消費に繋がる、UBIは仕事を減らす、など数えきれないほどだが、世界各地で行われている実験(計8ヵ国、ケニア、フィンランド、アメリカ・カリフォルニア、オランダ・ユトレヒト、カナダ・オンタリオ、インド、イタリア、ウガンダ)では、実験を支える財政的な問題などですべてが予定通り進められてはいないようだが、いくつかの基本的反論にこたえるだけのポジティブな成果を生みだしているようだ。

 井上准教授が言うように、AIとUBIは相性がいいようだ。この2つがうまくかみ合うことで、環境と人に負担をかけない、自然な生き方が実現できるかもしれない。
 ただし、それは、仕事観と仕事の仕方の変化を前提にして、AIの導入を計画的に行うことで初めて達成できるのではないか。そのためには、まず、UBIの導入を前提としたさまざまな討議が行われるべきだと思う。

「最後に」

冷麦は子供と食べるのが楽し

 上の句は、私が勤めていた会社の同期入社である矢澤準二氏の句で、2018年の「毎日俳壇賞」の最優秀作品の一つに選ばれた。同氏は「その日に聴いた観た事物だけを、必ずその日に書く」決まりで毎日句作を続けている。
 この句に接して、私がまず思い浮かべたものは、久隅守景の、国宝『納涼図屏風』(17世紀 東京国立博物館蔵)である。気分、さらに言えば、世界観で通じ合うものがあると思ったのだ。

久隅守景 国宝『納涼図屏風』( 東京国立博物館蔵)

 実際、国宝を観るのだと意気込んでこの絵に接すると、まず印象的なのはその大きさであって、絵そのものについては、「えっ、これが国宝なのか」と肩透かしを食ったような気がするくらいあっけらかんとしたもので、派手なところが何もないのだが、しばらく見ていると、その印象は深みを増す。
 この絵に接したある人がその印象をこう述べている(kazu no ko氏 ブログ『甘口辛口』より)。

「久隅守景の絵は、その後長い間、一種のユートピアとして私の心に残った。その気になれば私たちは、この絵があらわしている世界に今直ぐにでも入って行くことができる。だが、今直ぐにでも実現可能なことが、実行するのに最も困難なことなのだ。「夕顔棚納涼図」に描かれている一家は、とにかく自然体で楽々と生きている。今まで、こんなのびのびとした世界が身近にあることに気がつきもしなかったが、一度気がついてしまうと、「納涼図」の世界こそが日本人、いや人類全体に与えられたユートピアであることが分かってくるのだ。」

UBI+AIによってもたらされるべき「ユートピア」とはまさにこのような世界ではないだろうか。「仕事をしなくても生きられる世界」ではなく、「自然体で楽々と生きる」世界である。この世界は身近にあるのにまだ遠い。

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