テディ・ウィルソン

 テディ・ウィルソンは直にそのプレーに接した数少ないジャズピアニストの一人だ。

 初来日が1970年だと言うから、直に聴いたのはもう少し後だが、彼は1986年に亡くなっているので、1970年代の終りか1980年代の初めくらいだったろうか。場所ははっきり覚えていて、銀座の「ジャンク」という店だった。当時は、俳優の藤岡琢也(サンヨー食品の「サッポロ一番みそラーメン」のCMに35年間出演していた)が経営していると聞いたが、これは事実ではないようだ。藤岡琢也はジャズファンとして知られていて、自身が選曲したレコードまで出しているのだ。

 ジャズクラブと言えば、比較的よく行っていたのが「ミスティ」という店だ。六本木の今はない防衛庁前あたり、表通りではなくちょっと奥まったところにあり、小さな看板だけが目印の店で、中に入ると、ピアノの後ろ部分を囲むようにしてカウンターがあり、英語で言うとインティメートな感じの店だった。そこではトリオ編成が中心のライブ演奏を行っていたが、それは20時過ぎからで、店が開いた直後から演奏が始まるまでの時間、客がほとんどない、がらんとしているが、その分だけすっきりとした感じの店でレコード演奏を聴きながらハイボールを飲むのが好きだった。アン・バートンというオランダ出身の歌手がいて、この店で録音した彼女のアルバムがあり、「ミスティ」の録音に相応しく、リラックスして心地よいものだ。生演奏が始まる前に店を出るのが私のスタイルで、実は生演奏が始まるとドリンクの代金が高くなるのだが(当たり前だが)、その後に開くバーに行くのが決まりになっていたからだ。昔の六本木は、土日はほとんどの店が休みで、閑散としていたものだ。ウィークディだって、種々雑多な人間が集まってくる新宿のような街ではなく、大人の街だった。よく行っていたころは大人とも言えなかったが、背伸びするような場所が必要じゃないかとも思う。

 その「ミスティ」も「ジャンク」も今はもうない。ジャズの演奏、とりわけピアノトリオとかボーカルには小規模なクラブのような客に近い空間が適していると思うのだが。ビル・エヴァンスのWaltz for Debbieは「ヴィレッジ・ヴァンガード」(キャパは100席ほど)だから生まれた音楽だろうな。クラブにおけるライブ演奏に相応しく、グラスと氷が触れ合う音や客の会話、笑い声まで録音されているので、以前は、この素晴らしい演奏の最中に下品な笑い声を立てるとは何事かとイライラした。今でも少し気になるが、客の気配が感じられるのもライブ演奏の魅力だと思えば良いのだ。

 さて、テディ・ウィルソンだが、「1935年にベニー・グッドマンのコンボの一員として公の場で演奏した最初の黒人ミュージシャン」だが、正確には、「白人のバンドで演奏した」ということだ。アメリカには「ジム・クロウ法」というものがあって、「黒人(有色人種)の一般公共施設の利用を禁止、制限した法律」で19世紀末から1964年まで長々と存続したアメリカの汚点とも言うべき人種隔離政策である。このコンボはオーケストラ演奏の幕間に演奏していたのだが、ベニー・グッドマンが幕間の余興だから許されるだろうと思っていたかどうかは分からない。その後、ベニー・グッドマンの楽団に在籍した黒人ミュージシャンには、あのチャーリー・クリスチャン、デューク・エリントン楽団でConcerto for Cootieなどの名演を残したクーティー・ウイリアムスなどがいた。ベニー・グッドマンは共和党の重鎮のような見かけだが、自分の楽団を良くするための才能探しには熱心で、出来る奴がいれば人種にはこだわらなかった。

大和明氏編集 ザ・テディ・ウィルソン

 このころの時代のテディ・ウィルソンの演奏は、グッドマンのスモールコンボはもとより、ブランズウィック・レーベルにおいて自身名義で行った数多くのセッションが残っており、ビリー・ホリディ、そしてレスター・ヤングとのセッションが名高い。レスター・ヤングは私が最も好きなジャズミュージシャンの一人で、例えば、カウント・ベイシーのスモールコンボでのLady Be Goodのソロはチャーリー・パーカーのみならず誰でもなぞってみたくなるだろう。(彼については書くことが沢山あるので、別稿で触れたい。)もちろん、テディ・ウィルソンのピアノはソロでも伴奏においてもクリーンなタッチが印象的で、レスター、ジョニー・ホッジス、グッドマンなど最上のプレイヤーと作り上げた2分から3分程度の短いが充実した演奏が聴ける。大和明氏によってこの一連の演奏を集めたものがLP2枚のセットで販売され、それを手に入れることで初めてテディ・ウィルソンの演奏に接したわけだ。最初は音の悪さが気になったが、演奏が素晴らしいのでまったく気にならなくなった。レギュラーで演奏しているコンボではなく、悪く言えば寄せ集めのメンバーによるセッションなのだが、ヘッドアレンジによる演奏がそれぞれのプレイヤーの個性を引き出し、ポリフォニックなアンサンブルも心地よい。同じくブランズウィックで出ているBlues In C Sharp Minorという曲はテディ・ウィルソンの演奏で最も好きなものの一つかもしれない。スイングだとかモダーンだとかの時代、ジャンルを超えている。何しろメンバーがすごい。テナーがチュー・ベリー、トランペットがロイ・エルドリッジ、クラリネットがバスター・ベイリー、ドラムはシドニー・カトレットだ。イスラエル・クロスビーのベースが終始心臓の鼓動のようにリズムを刻むこの演奏を聴くと、ジャズの真髄がブルースにあることがよくわかる。しかし、同じメンバーによる演奏で、Mary Had A Little Lambなんかが入っているのが、このころのジャズの面白さだ。

 テディ・ウィルソンのものと並ぶのが、ライオネル・ハンプトンのコンボ録音だ。こちらはビクターレーベルで音質が抜群に良く、好きなナット・キング・コールのBlue Because of Youも入っている。同時期で、ジャンゴ・ラインハルトのコンボもあるが、こちらもコールマン・ホーキンスの名演、エディ・サウスとスタッフ・スミスのヴァイオリン演奏などもあり、両方とも別稿を起こすだけの質と量がある。

 銀座のジャズクラブに戻ろう。「ジャンク」と言う店は銀座と言っても新橋に近く、八丁目の博品館の傍にあるビルの4階で、エレベーターではなく、階段を上がっていったような記憶がある。会社の先輩社員に「今晩、テディ・ウィルソンが演奏するのだが、聴きに行かないか」と誘われ、二つ返事でお供させてもらった。店は決して広いとは言えず、席も結構窮屈だったが、北村英二とのコラボで、演目もお馴染みのもので、リラックスした雰囲気だったが、テディ・ウィルソンは年齢を感じさせない強いタッチのピアノで、品格があり、管楽器と違いピアニストは結構長持ちするものだと思った。ブログ仲間であるGS氏によると、楽器から遠ければ遠いほど演奏家として長持ちするそうで、中でも指揮者が一番だそうだ。

 インターミッションに入る前に、客からリクエストを集めていたので、一緒に行った人からも促され、そこで頭に浮かんだのが、Time on My Handsだった。HandsだったかHandだったか少し迷ったが、まあ、タイム・オン・マイ・ハンズで、ハンドではなかったと思い出して、紙にメモして店の人に渡した。演奏が再開され、どうだろうかと思っていたら、テディ・ウィルソン氏は「オー、これは私も好きな曲です」と言って(言ったと思う)、一番目に弾いてくれた(と思う)。その演奏が悪いはずがない。この曲をさらに好きになった。もちろん、テディ・ウィルソンの演奏がベストだ。しかし、今、私のiPodに入っているテディ・ウィルソンの曲にはこれが含まれていない。iPodを何台か買い換えたり、そのたびに曲を入れたり出したりしているうちに無くなったのかもしれない。

 テディ・ウィルソンの演奏に直に接したのはこれが最初だと言ったが、実は二度目もある。

 オーレックス・ジャズ・フェスティバルというイベントが1980年にあり、横浜球場で行われたコンサートに行った。実に豪華なメンバーであり、キング・オブ・スイングというセッションで、ベニー・グッドマンと共にテディ・ウィルソンが出演した。私の席はアリーナの中で、比較的ステージに近く、野外と言うハンデはあるが、達者な演奏を楽しんだ。しかし、最前列に座っていた一群のおっさんたち(協賛社の関係者だったろう)が酔っぱらった挙句、レア・シルクというボーカルグループの女性たちに卑猥な言葉を投げつけているのが聞こえて、実に残念だった。酔っぱらったオヤジの日本語なんてわからないだろうとは思ったが、自分たちの音楽を心から楽しんでいないことはわかったろう。

Teddy Wilson Time on My Hands (1952-1953)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です