ホイットニー・バリエットのソニー・ロリンズ評‥‥ザ・ニューヨーカーより 3

 今回は、ニューヨーカーの音楽評論の中からホイットニー・バリエット(Whitney Balliett)のジャズ評。取り上げられているジャズミュージシャンのほとんどは故人となった。後にいずれも大物となった彼らも駆け出しに近い時はあったわけだが、ニューヨーカー誌でこのように評価されれば将来に望みが持てるというものだ。バリエットが書いているのはレコード評で、取り上げているのはソニー・ロリンズのSaxophone Colossus(Prestige LP-7079)、セロニアス・モンクのBrilliant Corners(Riverside RLP-12-226)の2枚で、いずれも彼らの代表作として挙げられるものだが、今回は、ロリンズに関するもののみ紹介したい。


「チャーリー・パーカーの後、最も鋭利かつ影響力があるジャズの器楽奏者と言えば、それは27歳のあるテナーサックス奏者だろう。その名はソニー・ロリンズだ。威圧的で激しいそのプレイスタイルによって、急成長を遂げているモダンジャズの新しいグループ、いわゆるハードバップの非公式なリーダーとなった。ホレス・シルバー、ソニー・スティット、アートブレーキ―などのハードバップのメンバーのほとんどはビバップの最盛期に第一線で活躍し始めたため、主として、パーカー、ディジー・ガレスピー、レスター・ヤング(レスターはもう少し前のミュジシャンだと思うが、影響力でいうとここに入るのだろうな)、そしてバド・パウエルを土台にそのスタイルを作り上げたのだ。彼らは、過度に複雑なタイプのジャズと見做されがちだったバップのナーバスな激しさを、長いメロディックライン、拡張された和声、ぎくしゃくしているが、リズミカルなベースラインなどで和らげたのである。それは、いろいろな意味で、進取の気分に富んだ、しかし、複雑ではなかったルイ・アームストロングのホット・ファイブへの直接的回帰なのである。


 ロリンズはバップの基本的な枠組みと奏法を使い続ける一方で、バップのサウンドがヘンデルの「水上の音楽」のように平穏なものに聴こえてしまうようなソロのスタイルを発展させた。初めは、彼のプレイに何か不快感に近いものを感じる。その暗く荒れたトーンは時にビギナーがサクソフォーンから無理やり絞り出す情けない音を思わせ、それはビブラートの優雅さやダイナミクス(曲の変化に合わせた音量や音圧の調整)を用いることによっても容易に和らげられることがない。実際、彼は音符を悪口のようにまき散らしているように見え、彼のソロはしばしば終わりのない長広舌に聴こえることもある。しかし、しばらくすると、あのスタッカートの驢馬の鳴き声のようなもののほとんどがおそらくチャーリー・パーカーに匹敵する激しくすばらしい音楽的想像力を秘めたものだと分かってくるのだ。


 恐るべき絶頂期にあるロリンズは、ピアノ、トミー・フラナガン、ベース、ダグ・ワトキンス、そして、ドラム、マックス・ローチと組んで、新たなレコーディングを行った。そのタイトルはSaxophone Colossus (Prestige LP-7079)である。このLPの5曲のうち3曲がロリンズの手になるものだ。最上のものは、「三文オペラ」からのMoritatで、ロリンズはこの曲を無骨さと繊細さの驚くべき組み合わせに変えて見せる。そして、ロリンズ作品であるBlue Seven、これは長くうねるようなミディアムテンポのブルースで、ロリンズの瞑想的な変奏に加えて、ローチのソロが特筆もので、ドラムのすべての部分を使って賞賛すべき規則正しいビートを刻む。とは言え、この曲のテンポはかなりくせものなのである。フラナガンは繊細で真珠のように艶のあるサウンドを生み出すピアニストであり、ワトキンスは新人ながら堅実なベーシストである。このセッションを通して二人とも申し分ない出来で、ロリンズの一種素朴な活力に対して引き立て役以上の働きをしているのである。」

ホイットニー・バリエット The New Yorker 19

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