2021年 私の10冊 その2

② 夏目漱石 『漱石文明論集』 (岩波文庫)

漱石文明論集

『目くじら社会の日本』という本を読みました。目くじらとはすなわち世間のことで、現代の日本で世間が「暴走」し、同調的圧力が強まっていることに警鐘を鳴らす目的で書かれたものです。著者は、世間が暴走する背景には「合理的な西欧社会」に対し「非合理な日本社会」があるとし、日本社会を後れたものとみなし、例えば、多神教的な日本人の宗教観を一神教のそれと比較して「呪術的」とし、日本の社会を俗信、迷信がはびこるもの断じ、さらには「「告解」の歴史がないため個人が形成されてこなかった」のが世間暴走を許す源であるとしています。日本には西欧的な意味における「個人」が存在しないと言っているのですが、この本の著者の考える個人とはきわめて西欧的な存在で、西欧的な個人主義は、国家と対立するキリスト教的伝統の下で生まれた西欧の概念であって(特にカトリックの影響が強いと言われている)、その普遍性には疑問が呈されていますが、それが日本で同じように発展するのは無理な話であり、最初に関係性がありその関係性の中で自己を形成する日本人の「個人」(和辻哲郎の「倫理学」)は、個人を前提に関係性を作る西欧の「個人」とは前提に隔たりがある。人間の根幹が共同体にあるとすれば、つまり、共同して生きる、共同しなければ生きられない存在であるとすれば、共同体にとって個人はどのようなものであらねばならないかを考えるべきですが、それには幾通りの代替案があってしかるべきで、西欧流の個人はその一つに過ぎない、日本的な個人を述べた本はないだろうかと思い、そうだ、漱石じゃないかと、積読状態になっていた『漱石文明論集』の「私の個人主義」を読みました。漱石は、正義(他者の個性の尊重)、義務、責任の三つの観念を導入して個人主義と利己主義との区別を図っており、その主張は、他者(社会)との関係を前提に組み立てられていると言えます。文豪漱石は同時に偉大な批評家でもあったと今更ながら感心しました。

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