ハイエク先生の通訳をした話

 あれは成田国際空港が開港した年、1978年、今から43年前のことだが、当時入社4年目だった私は欧州に出張を命じられた。民放ラジオ局との共同企画で、お得意さんの部長クラスの方々に欧州の主要都市でその国をリードする経済学者あるいは政策決定者のレクチャーを受けていただくという今から見れば豪儀なプロジェクトがあり、私はその事務局の現場責任者補佐の役を仰せつかったのだ。ここからの話はすべて私の記憶に基づくもので、細部の正確さには自信がない。

 開港当時の成田空港は周辺住民への配慮で騒音対策が厳しく、0時~6時までは離発着禁止だった。運悪く、搭乗予定だった英国航空の便は、エンジントラブルのためその日0時までの離陸が不可能となり(成田最初のケースだそうで)、空港そばのホテルに一泊せざるを得ず、事務局のメンバーである私に現地とのスケジュール調整という大役が巡ってきた。当時はPCもなく、現地との連絡はテレックスと電話に頼らざるを得ず、ホテルの施設を借りて大忙しで(時差があって大助かり)、一睡もしないうちに朝を迎え、午前の便で最初の目的地であるブリュッセルに飛び立った(ロンドン経由)。成田空港のパスポートコントロールの前に並んでいるときに、人から渡されたスコッチウイスキーのボトルが紙の丸いケースからするっと落ちてしまい、上等なウイスキーの香りをあたりに振りまく羽目となり、列に並んでいた外国人たちをフリードリンク(香りだけだが)で喜ばせた。空港の人によると私は成田空港で酒類をぶちまけた最初の人間だそうである。ブリュッセルでは当然ながらEC本部(当時は欧州諸共同体、欧州連合すなわちEUは1993年より)に赴き、そこでECの目指すものは何かのレクチャーを受けた。成田で一泊したおかげでスケジュールが厳しく、翌朝早々に次の訪問地ワルシャワに向かった。このあたりで、奥歯が疼き始め、やばいぞと思っていたら案の定、ワルシャワに着く前にひどい歯痛が始まり、頬がひどく腫れてきたが、大事なお役目は待ってくれません。ワルシャワのホテルにチェックインしたらすぐ会場の下見とポーランド人女性通訳との打ち合わせを済ませ、解熱剤を飲んで早々と就寝したが、翌日になっても治まらず、結局痛みと腫れが引くのに2,3日かかり、その間ろくに食事もできなかった。これについては面白い話もあるが、本題から離れるので割愛させていただく。

 さて、ワルシャワからチューリッヒに向かい(チューリッヒまではポーランド航空で行ったのだが、飛び立った後私の席のひじ掛けが外れてしまった。乗務員を呼んだが、オーとか言って、それをそのまま持って行ってそれっきり。ソ連製のプロペラ飛行機だが、珍しいことではなかったらしい)チューリッヒからバスで当時の西ドイツ、バイエルン、ボーデン湖のほとりにあるリンダウという小都市に向かった。なぜ、リンダウかというと、そこには1974年にノーベル経済学賞を受賞したフリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク教授がお住まいになっていたから。私の役目は車をチャーターして湖畔にあるハイエク教授のお宅まで行き、会場にお連れすることで、この時の写真は今でも残っているが、写真だけ見るとハイエク教授と私がなごやかに会話しているように見え(ハローくらいは言いましたがね)、写真というものは恐ろしいものだ。ハイエク教授にレクチャーいただくことになったのは、新自由主義経済学者で、プロジェクト全体のコーディネーターであった大学教授とハイエクさんが懇意だったからで、これはその時のレクチャーツアーの目玉だった。当時はハイエクの信奉者マーガレット・サッチャーが英国首相に就任したばかり、ドナルド・レーガンはアメリカ大統領になる前だったが、新自由主義がすでに日本でも注目されていた。

ハイエク教授

 ハイエク教授のレクチャー(英語だった)は教授の解説入りで無事終了。やれやれと思ったが、急な要件が出来し対応するために教授がハイエク教授を囲んで行われる食事会に参加できないと。それでお前が通訳をやれということになった。冗談じゃない。いかに食事会とは言え、ノーベル経済学者ですよ。自分と経済学との距離は物理学の次に遠いと思っている男に通訳をやれとはなんと乱暴な。しかし、急なことなので、観光地としては有名だが規模は田舎町のリンダウではすぐには通訳が調達できない。どうです、参加者それぞれがフリーにハイエクさんに質問することにしてはと提案したが、それじゃあ、英語が話せるごく一部の人に質問の機会が限られてしまい、参加者から不満の声があがるだろうと。
 いたしかたないと腹をくくって食事会に臨むことになり、席もハイエクさんの真正面に設定されてしまった。ところが、助けの神が現れた。それもハイエク教授その人から助けの手が差し伸べられた。

 ハイエク教授は耳が聞こえにくく、そのために補聴器を使っていたが、補聴器というものはデリケートなもので、常に調整が必要であり、常時付けていたいものではないらしく、食事の時ははずしたいので、話は雑談程度にとどめてもらいたいとのご要望があったのだ。皆さんは残念そうだったが、歯痛の後にこの苦行じゃあたまらんと思っていた私は胸をなでおろし、食事の席に着いた。耳が聞こえにくいため、会話はスムースにはいかなかったが、おかげで話のテンポがスローで、「ケインズについてどう思うか」などの話はなく、「どんな車にお乗りですか」「ハイエクさんの自家用車はプジョーだそうです」「日本の車はいいと思っているが、プジョーには乗り慣れているので」とかの他愛のない話ばかりで、ハイエクさんの挙動を観察する余裕もあり、こぼれ落ちたパンくずをせっせと拾って食べているのを見て、さすがに経済学者だと納得し、先生の鼻の先の尖りはすごいな、針のようだと感心した。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です