コロナ感染拡大防止策として人の移動の自由を制限すること(3)
中華人民共和国におけるコロナ感染拡大防止措置と反応
さて、コロナウイルス発症の地である中国はどうだろうか。1月23日午前10時、中国は武漢を完全に封鎖したが、これは世界初のロックダウン例であり、中国政府は中国でのみ可能な措置と豪語している。武漢のロックダウンで取られた措置は、すべての交通機関の停止(代わりに、タクシー6000台招集し、緊急時の移動手段として確保)、住民の外出制限(罰則有)、マスク着用の義務化、体温測定の義務化、などである。このうち外出制限は4月8日に解かれ、事実上のロックダウン解除となり、転んでもただでは起きない中国政府は「危機対応における中国モデルの優位性」を世界に誇示している。確かに、感染者と死者について全ての情報を公開しているとは思えないが、欧米に比べればコロナ感染が爆発的に広がったとは言えないし、現在も感染はかなりコントロールされているようだ。
コロナ対応策によって生じた損失の補償に関しては、中国政府はまず、武漢封鎖をしたその翌日に、コロナ防疫期間における「労働関係問題に関する通知」を発布している。つまり、「コロナの影響で経営困難をきたす企業に関しては、従業員を解雇しない限り、企業に対して就業安定補助金を給付する」というもので、したがって「企業は従業員に対して、これまで通り給料を給付せよ」というのが基本で、企業の損失分を国が一部補填することになっている。中国では、飲食店を始め多くの商店が大きなビルの一室をテナントとして借りて商売をしているので、営業禁止となれば、売り上げがゼロになるその上にテナント代(家賃)の支払いが継続して発生するので、実収入はマイナスになる。零細企業が多いため、1ヵ月もしないで倒産へと追い込まれるだろう。そこで、全国レベルの政策として、基本的に「国有不動産の場合はテナント代に関しては2月(あるいは2月と3月)を免除とする(実際上は4月まで免除)、民間不動産の場合はテナント代を削減することを提唱する」となっている。
それ以外にも電気代や水道代などの免除、税金の免除あるいは延期、融資優遇、返済の延期や金利の優遇など、さまざまな施策が実施された。中国は人口が多く地域格差も大きいため、なかなか全国一律とはいかないが、中国政府は武漢封鎖翌日には政府として全国レベルで「休業指示」と同時に「休業補償通知」を発布しているので、少なくとも感染防止策によって生じる経済面のロスに対する補償はかなり手厚く、行き届いているように見え、ロックダウンに伴う補償に関しては中国国民の間でそれほど大きな反対運動は起きていないようだ。起きても間違いなく封殺されるが。
また、ロックダウンによって移動の自由を徹底的に制限されることについては、中国における私権は党、国家権力に従属するものなので、そもそも問題とはならない。また、原則として中国では戸籍のある場所にしか住むことができないので、移動の自由は元々保証されていないのだ。これは1958年にできた「中華人民共和国戸口登記条例」による中国の戸籍(戸口)制度の根幹とされている。したがって、中国武漢におけるロックダウンでは武漢の住民の権利の侵害は発生しない。もちろん、これは移動の自由に限ったことではない。すなわち、
「中華人民共和国の憲法では次のような権利に対する規定が乏しい。例えば、国民の移住自由権、ストライキ権、知る権利、請願権、生命尊厳権、沈黙権、財産権、安全権、プライバシー権、任意の逮捕監禁を受けない権利、司法救済権、二重審判及び処罰を受けない権利、議案提出権、再議提出権、抵抗権、公共事業参与権、良心の自由、 表現の自由、報道の自由、学術の自由、平等雇用権、労働権、職場環境保障権、文化遺産継承権、迅速に訴えられることを知る権利、一定時間内審判或いは釈放を受ける権利、残虐な体刑及び他の残忍的、非人道的待遇或いは処罰を受けない権利、自白の強要を受けない権利、死囚の赦免を求める権利等」などである。」(晏 英『中国における主権原理の研究』2008年)つまり、民主主義国家であれば当然のように保証されている権利がほぼ認められておらず、人権の中における精神的自由権は言うまでもなく、生命権さえ危ういのが中国の現状なのだ。
中国政府の公式文書「人権白書」では、以下の3点を中国における人権の基盤としている。
①人権に対する主権(国権)の優位
②生存権(集団的人権)及び発展権(経済的・社会的権利)の重視
③共産党の指導の堅持
つまり、国の権利が人民の権利に優先するのだ。また、②によれば個人の権利より集団が優先され、経済優先であることも明記されている。そして、③にある共産党主導の明確化だ。中華人民共和国における優先順位は、まず党ありき、次いで国家、そして人民なのだ。これはNHKBS1の国際ニュースの枠内で放送される中国中央電視台(CCTV)のニュース番組を見ればよく分かる。CCTVではすべてが党、国、そして国民の順番で語られ、国民の意思が最初に語られることはまずない。9月18日付けの共同配信記事によれば、「中国外務省の報道官が、共産党による統治を批判した米政権への反論で「中国人民こそが共産党の堅固な鉄壁だ」と述べ、国内で反発を買っている。一党支配を守るために国民に犠牲を強いるかのような発言で、インターネット上では「米国に対する盾になれと言うのか」と批判的な声が相次いでいる。ポンペオ米国務長官は8月の演説で、中国共産党による統治を批判した。中国外務省の副報道局長は同27日の記者会見でこれに反論し「党と中国人民は魚と水のように切っても切れない関係だ」と強調。人民は党の「金城鉄壁」であり「打ち破れると思うな」と米側をけん制した。」そうだ。ついつい本音が出てしまった。政府とは国民の安全を守るものとのホッブス以来の欧米の考え方とはまったく逆の考え方だ。
今のところ、中国国民の不満(不安)はむしろ「情報封鎖」にあるだろう。中国政府は、自国民はもとより世界にコロナ感染に関する重要な情報を伝えていないとの不満が世界のみならず国民にもある。中国の体制の本質に関わる言論の自由の制限に伴う弊害が当然発生しており、最も大きな弊害は危機発生の社会的な周知が遅れたり、国民全体が危機の実態を知る材料が少なくなったりすることだ。親族がコロナウイルスに感染して亡くなったのは武漢政府の情報統制のせいだと武漢政府に賠償を求める訴訟が起きているとの報道もあった。もちろん、広く公の議論にはなっていないが、一部の中国人からは「言論の自由は観念的なものではなく、自分たちの健康や生活に直接関わるものだと今回初めて実感した」との声が出ているそうだ。そうだと言うのは、中国国民の声に直接触れる手段と機会が極めて限られているからだが、日本在住の中国人からはそう聞いている。
制約があるとはいえ、中国ではネット環境が整備されている。ネットを通じて中国の現状のみでなく、海外における対応についても十分に知識を得るチャンスはある。同じ問題に対する対応を比較して中国の特殊性、世界との違いを実感することができ、共産党政府の情報統制は自分たちの生活を脅かすものだと数多くの中国国民が実感する機会となったのではないかと思いたい。しかし、 コロナ感染をいち早く抑え込むことで「危機対応における中国モデルの優位性」が示され、何事も欧米の後塵を拝して来た中華人民共和国がこれで頭一つ抜けたと、「共産党の一党独裁だから、政府と国民が一体となって事に当たることが出来る」、「国に対する信頼度が高まった」と中国国民たちが評価しているとの報道があるが、どうもこれはプロパガンダのために言わされた意見と片づけるわけにはいかなそうだ。
情報コントロールされているとは言え、コロナ危機を経験しても政府に管理されることを肯定する意見が多いとすると、中国国民は専制政治に慣れてしまっているのだろうか。東洋史学者宮崎市定の文章を引用すると、
「思うに中国に数千年もの間、専制君主制が続いてきたのは、それがある程度の柔軟性をもち、時代の進歩に適応して進歩してきたためである。もしも君主制が何の理想ももたず、全く恣意的な無軌道のものであり、或いは硬い殻のように固定したままで人民を抑えつけているのだったら、いかに辛抱強い中国民衆でも、それを打破って新しい政治様式を造り出したに違いない。幸か不幸か、そこへ歴代の、いわゆる名君なるものが現れて、たえず君主制の理想と実施とに改良を加え、無言の大衆の信頼をつないできた。… そして独裁制に信頼する民衆は独裁制でなければ治まらないように方向づけられてしまった。これは中国人民にとってまことに悲しむべき結果である。」 (宮崎市定『雍正帝』1996年)
皇帝専制政治の清朝を批判して成立した革命政府をそのルーツに持ちながら、現在は、共産党=独裁政党であり、中国において専制政治の時代はまだ終わっていない。一個人ではなく中国共産党の一党独裁の形をとっているが、過去の毛沢東、現在の習近平のように個人レベルの独裁色が濃くなっている。体制トップを見れば、清朝の皇帝には雍正帝のように「無抵抗、無防備の一般人民をこの上なく愛護し、身を粉にしてもその生活を保証してやりたい」、「戦争は不経済なもので、そのために人民がどれほど苦しむか知れない」(前述)と考えた名君があり、比べてみて、今の中国の体制はどうだろうと考えざるを得ない。皇帝のようにふるまうが、習近平氏ははたして名君だろうか。専ら体制維持に腐心して、国民に直接語りかける機会も少なく、たまに工場視察などをしている姿は北朝鮮の将軍様と大して変わりがないようにも見える。
中国共産党の「改良」とは、市場経済の仕組みを大胆に採り入れた経済改革政策「改革開放」だろう。私の中国人の友人は、学歴は高校までで、若い頃は給料をもらった時に食べるケンタッキーフライドチキンが楽しみだったと昔を振り返っているが、今では、上海市内に家を3件持ち、自分はそのうちのエレベーター付き4階建ての家に住み、上海蟹で有名な陽澄湖のそばの別荘地にある瀟洒な邸宅に両親を住まわせ、年に数回上海と日本、米国、欧州を行き来する優雅な生活を送っている。彼は、「自分がこうなったのも中国政府の経済政策のおかげであり、それを考えると今の政府を批判する気にはなれない。」と言っている。
しかし、改革開放の後に生まれたものは、不自由で貧しかったが概ね平等なそれまでの世界ではなく、私権が厳しく制限され、さらに平等でもない、地域間、世代間を含めた格差が大きく広がった世界だ。所得格差を表すジニ係数では、中国はすでに社会的安定崩壊の危険水域に入っていると言われる(所得格差は若干縮小しているとの論もあるが)。今の中国社会には自由はもとより平等もない。
今回のコロナ感染で、「情報封鎖」に不満を持つ一部市民の声がやがてはより開かれた社会の実現に繋がるのか、それとも、リーマンショックに続いてコロナでも危機を乗り越える力では民主主義国家を凌駕する管理国家の「中国モデルの優秀性」の認識が現体制の維持強化に繋がっていくのか、現時点では後者の可能性の方が高いと言わざるを得ない。先日、武漢でプールに大勢の人が集まり、この時勢とは思えないバカ騒ぎ(政府公認だろう)をする映像を見たが、北京政府の外交部スポークスマンは記者団にこの映像を見せながら中国の対応の勝利であると自慢げに語っていた。
(4)へつづく