コロナ感染拡大防止策として人の移動の自由を制限すること(2)

《コロナ感染防止対策としての国家の私権制限措置》

 世界の新型コロナウイルス感染者数は累計で4000万人に迫り、死者は100万人を超えた(10月15日現在)。新型コロナウイルスによる感染拡大の初期の段階で、ウイルス発生源の中国はもとより、欧米においてさえ外出禁止など私権制限を伴うロックダウン(都市封鎖)に踏み切った国が多く、市民が外出禁止に違反した場合には罰則を伴うなど国による厳しい私権制限が主流となっていた。これが実際に感染拡大防止に有効な手段だったのかは今後の検証を待たねばならないが、3密(+マスク着用)とともに感染抑止には一応の成果を上げたように見えた。見えたと過去形なのは、現在は、主として経済面からの圧迫により、時期尚早の声がありながら、全世界で制限解除の方向に向かい、その結果第二次の爆発的感染が引き起こされた。人の動きが制限されることによって鬱屈したエネルギーが噴き出した感があり、また、コロナウイルス自体の感染力も強まっているようで、米国、ブラジル、インドのみならず日本でも第一次より感染の勢いが激しく、欧州では再びロックダウンされる都市も出始めている。現状を見る限り、特効薬とワクチンが開発され市場に流通するまでコロナウイルス危機は収まりそうもない。そもそも、欧米で19世紀後半から始まった福祉国家建設はペスト、コレラのような経口、接触感染症への恐怖が推し進めたものだと言われている。感染源となりやすいスラムなどの貧困対策、感染症に対抗するための健康改善の施策、正しい知識と対応力育成のための教育の普及は人々を感染症から守るために推進されたのだが、人同士の接触によって感染するCovid19 のような新型ウイルス感染症の前にはなすすべもなかった。
 東アジアの中・先進国は毎年大規模な自然災害に襲われ、また、SARS、MERSなどの疾病の流行を経験してきたために、今回のコロナウイルスに関してはある程度「準備」ができていたが、このところ大規模な感染症を経験していない欧州はひどく打撃を受けている。米国も特にトランプが大統領になってからは大規模疾病対策が予算削減などおざなりにされてきた、そのツケがまわった。

ドイツにおけるコロナ感染拡大防止措置と反応

 コロナウイルスの爆発的感染は中国に隣接しているアジア諸国ではなく、中国から遠く離れた欧州でまず起きた。欧州で感染者が特に多い国は、英国、スペイン、イタリア、ドイツ、フランスの5ヵ国だが、この中で、ドイツの感染者総数は欧州で4番目に多いが、他の国に比べ、ドイツは死者が一桁少なく、かなりコントロールされていると言えるだろう。

 ドイツ連邦共和国メルケル首相は、3月18日に、休業、外出禁止を含む新型コロナウイルス感染症対策に関しテレビ演説を行い、国民に呼びかけた。感染防止のために大胆な対策が必要であることをアピールした後で、次のように語った。                       「日常生活における制約が、今すでにいかに厳しいものであるかは私も承知しています。イベント、見本市、コンサートがキャンセルされ、学校も、大学も、幼稚園も閉鎖され、遊び場で遊ぶこともできなくなりました。連邦と各州が合意した休業措置が、私たちの生活や民主主義に対する認識にとりいかに重大な介入であるかを承知しています。これらは、ドイツ連邦共和国がかつて経験したことがないような制約です。次の点はしかしぜひお伝えしたい。こうした制約は、渡航や移動の自由が苦難の末に勝ち取られた権利であるという経験をしてきた私のような人間にとり、絶対的な必要性がなければ正当化し得ないものなのです。民主主義においては、決して安易に決めてはならず、決めるのであればあくまでも一時的なものにとどめるべきです。しかし今は、命を救うためには避けられないことなのです。」(林フーゼル美佳子訳)                 メルケル首相は、国家による移動の自由を含む私権の制限は憲法で保障されている個人の自由を奪うことであり、「絶対的な必要性がなければ正当化し得ない」ことを十分に認識した上で国民に呼びかけている。彼女は旧東ドイツ出身であり、自由を奪われた状態の厳しさとそれから解放された喜びを自ら体験しているので説得力がある。

 メルケル首相の演説にもあるように、ドイツ連邦政府はコロナウイルス感染拡大を防ぐべく、積極的な対策を立て続けに発表し、出入国関係では、3月16日にオーストリア、スイス、フランス、ルクセンブルク、デンマークとの国境で国境管理を開始、さらに対象国としてイタリアとスペインを追加し、陸路のみでなく、航空機や船舶利用の移動についても新たに国境管理の対象とした。また、EUへの入域制限に関する欧州委員会の指針に従い、非EU市民の入域を30日間制限する措置を発動した。国内でも、食料品・飲料品販売店などをはじめとした必要最低限の施設以外の営業を禁止するなどの社会生活上のさらなる接触制限措置で連邦内の合意を形成し、次いで、新たな全国的な統一ガイドラインを発表し、同居家族などを除く他人との接触は絶対に必要な最低限とすることなどを定めた。

 ドイツの公共放送局ZDFが3月27日に発表した世論調査では、ドイツ連邦政府の新型コロナウイルスの感染拡大防止措置について、「厳し過ぎる」と回答した割合は4%にすぎず、75%が「妥当」、20%が「さらなる対策が必要」と回答するなど、政策に対する国民の理解が広がっている様子がうかがえる。     

 連邦政府は感染防止策と同時に、短時間労働給付金制度の柔軟性向上のほか、税関連の流動性(資金繰り)支援、中小企業と零細企業に対する給付金や緊急融資プログラムの提供、保証枠の拡大、中堅企業向けの企業救済ファンド「経済安定化基金」など、総額7,500億ユーロに及ぶ大型経済対策を導入、国内企業の救済に乗り出している。まさに「模範的な」対策であり、ドイツ国民の高評価も当然ではないだろうか。また、ドイツの一般市民の反応も、「仕方ない」という声が多かったと報道されている。在宅勤務が日本より進んでおり、日曜日には多くの店が休みになる習慣もあって、生活の質を守るためには多少の不便も仕方がないという考え方がそもそも根付いている。 政府も国民も成熟している。

 感染拡大防止措置全般についての評価はともかく、国民の権利意識が強いドイツの特徴を反映して、すでにコロナ感染防止対策について、個別にいくつかの訴訟が行われているので、その例を挙げる。

                       

 営業禁止に関して、ドルトムントで贈答品と日用品の販売店が、営業が1ヶ月禁止されたことについて、早く店舗を再開したいと州の裁判所に提訴した。これに対して裁判所は、生命と健康の保護は「はるかに卓越した公益」で、営業禁止は「過度の負担ではない」との裁定を下した。

 教会やモスクでの「礼拝禁止」は「信教の自由」を侵害との訴え:ヘッセン州のカトリック教徒が礼拝禁止は違憲であるとの訴えを起こした。法廷は、身体と生命への危険の保護が、非常に重大な信仰の自由の侵害より優先されるとした。また、イスラム教徒も金曜日の礼拝ができないことを「信教の自由」の侵害として提訴したが、法廷は、信教の自由」への深刻な侵害であることは認めたが、小売店での買い物と比較し、継続時間が長い共同活動であり、とくにウイルス排出の恐れが高い祈り声と歌が共に行われるため、感染を避けるために依然として礼拝禁止が必要だとして、訴えを退けた。これに対して、無言で祈りをささげる派から異論が出たため、礼拝禁止も状況に応じて弾力的運用が可能だとの判断が裁判所から下された。

 コロナ対策の延長、緩和を求める訴え:年齢的にリスクグループ(コロナ感染により重症化する可能性大)に属す高齢者が、学術的な検討によると緩和は時期尚早であり、緩和は生命と身体を害されないという彼の権利を脅かすと主張し、緩和措置の停止を求めた。また、、60歳未満の非リスクグループに属す者が、感染防止のために自由の制限は非リスクグループの基本的な権利を侵害し、相当とは言えないと主張して提訴した。両者に関して連邦憲法裁判所は、提訴者の主張は根拠不十分であるとして認めなかった。
など、様々な訴訟が発生しているが、裁判所は訴えを退けながらも、退ける理由、根拠をその都度明確にし、また、情勢に応じて柔軟に判断するとの姿勢も示している。

 ドイツには1979年に改正された「感染保護法」があり、日本の「新型インフルエンザ等対策特別措置法」との違いは、日本の規定は「自粛」や「要請」で強制力がないが、ドイツは強制力がある「命令」であり、罰則もある、という点。しかし、さらに重要な違いは、日本では、法律に定められている対策しか実施できないが、ドイツでは自由に対策を選定できる点。その感染症に応じた最も効果的な対策を実施できるので、結果的に負担が少ない対策を選定でき、感染対策と経済を両立しやすいシステムになっていると考えられている。その柔軟さを示す例が、今回のコロナがドイツにマスクを定着させたことからも確認できる。ドイツ人にとってマスクは特殊な職種で使用されるものに過ぎなかったが、コロナとの戦いの中各地で手作りマスクが登場し、ノルトライン・ヴェストファーレン州では買い物と公共交通利用ではマスクが義務となった。

 このように行政は強い権限を与えられているが、強い権限には当然行きすぎの懸念もある。このチェックを担っているのが裁判所で、前述したように多数の訴訟が提起され、場合によっては行政が設けた規定の一部が修正可能となっている。

 つまり、ドイツは、あらかじめ十分な検討を経て定められた強制力がある「感染保護法」をベースに強力な施策を打ち出す行政と、行政の行為に対して権利侵害異議を申し立てる市民、市民の異議を審議し、必要があれば行政の施策を修正する権限がある裁判所の3者が機能しながらコロナ危機に対応しているわけだ。行政は私権に配慮しながら、必要とあれば強い手段を躊躇せず、それに対して市民は「権利のための闘争」を厭わない。コロナ危機を通じて、成熟した欧州の市民社会の一面を見る気がする。                                   

 しかし、このドイツでもコロナウイルスの第二次感染が始まり、9月半ばで感染者は累計で26万人を超え、死者数は1万人に迫り、あえてマスクをせずにデモ行進をする人々が出現するなど国民の間で政府の対応策に対して不協和音が大きくなり始め、強制力がある対応が可能なドイツでも政府ができることに限界が見えている。

(3)へつづく

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