コロナ感染拡大防止策として人の移動の自由を制限すること(1)
2020年の年末恒例流行語大賞では、「3密」、「ステイホーム」あるいは「自粛」が有力候補になるだろうと考えていたが、コロナウイルス感染が進むにつれ、次から次へと新たな事態が出現して、「ウィズコロナ」もありうるし、今後の進展次第で何が話題になるだろうか。「第二次、第三次感染爆発」は歓迎できない。個人的には、コロナウイルスの特効薬あるいはワクチンが年内に開発され、その名称が選ばれることを望みたい。と書いてみたものの、年内は厳しいかもしれない。
(参考)「三密」と書くと、本来は仏教用語であり、密教の教えで、身密、口密、意密の3つから成り、三密の修行とは、身密(身体・行動)、口密(言葉・発言)、意密(こころ・考え)を整えることだそうだ。コロナ対策としてはこちらの方が有効かもしれない。
濱口先生は、コロナウイルス騒ぎで注目された「ソーシャルディスタンス」のおかげで生まれた人の間の距離の問題(プロクシミクス(Proxemics)=知覚文化距離)意識がポジティブな人間関係構築に繋がる可能性を指摘されたが、私は、『日本人の権利意識』を読み、さらに、日本国憲法の具体的な条文に触れた(すべてではないが、特に権利に関して)ことで、洋の東西、政治体制にかかわりなく多くの国でコロナウイルス感染防止策として行われた人々の移動の自由の権利の制限(私権の制限)とそれに対する国民側の反応に関心を持った。
今回のコロナウイルス危機を通じて、現代社会における人の移動の自由とその制限がこれほどまでに大きな経済的、精神的な意味を有することをあらためて知った。 「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」という言葉があるが、現代人の典型として使われる「ホモ・エコノミクス(経済人)」より「Homo Motus(移動する人)」の方が今に生きる我々を形容するにふさわしいと思える。今は、在宅、リモートワークとか、オフィス外で、多くは自分の家で、ネットワークで結ばれたデジタル環境で仕事をするケースが増えているが、私の姪の場合は在宅で切れ目なく仕事をしているために明らかにオーバーワークで、現代の「居職」がどこまで定着するか、家庭と仕事場の定期的な往復(サードプレースも含めた)が一様に否定されるべきではないし、家庭と仕事を分けて考えることも必要で、小説家でさえ、家に閉じこもってばかりで仕事をするのは難しく、別に仕事場を確保して、「通勤」しながら仕事をする人もいる。在宅は、メリットのみでなくデメリットも含めてじっくり検討されるべきだろう。
(2)へつづく