和辻哲郎『人間の学としての倫理学』を読んで (1)

まず「倫理学」とは?

〈倫理(学)

  • 道徳 – 社会慣習として成立している行為規範。
  • 倫理学 – 善・規範・道徳的言明といったものについて研究する学問。
  • 倫理 (科目) – 日本の高等学校における科目名。また、日本の大学入試における科目名 – 公民という教科は政治・経済、倫理、現代社会の3科目からなるが、倫理はそのひとつ(大学入試センター試験では「倫理、政治・経済」という科目も存在する)。                            (出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

Ethics)〉

  • a system of accepted beliefs that control behaviour, especially such a system based on morals:
  • the (Protestant) work ethic
  • The ethics of journalism are much debated.
  • He said he was bound by a scientist’s code of ethics.
  • Publication of the article was a breach of ethics.
  • the study of what is morally right and what is not (出典: Cambridge Dictionary)

 ウィキペディアでもCambridgeでも述べられていることはほぼ同じで、Cambridge辞書の訳が日本語辞書の言葉であると言っても良い。日本語(漢語)の「倫理学」は英語のEthicsの訳語として明治期に井上哲次郎(「形而上」(Metaphysical) の訳者でもある)が考案したものであり、つまり、今、教科書に取り上げられ、われわれが主に接しているのは西洋由来の倫理学のようだ。西洋の倫理学とは「人にとって善きことは何かを問う学問」だとあるが、いわゆる人の道を説く「倫理」、「道徳」という言葉は日本語の語彙に古くからあり、これと西洋のエシックスとは大きな違いがないように思える。『人間の学としての倫理学』で和辻は西洋のエシックスあるいは日本社会に根差した倫理を再述するだけなのだろうかという疑問をまず抱く。

 現在日本で教育上一般的に行われている「倫理学」は次のようなものだとされている。               「善悪正邪、為すべきことと為すべからざることとの区別、義務という観念など、我々の道徳的意識を常識から問い、また常識に問い返すことによってその観念を明確にすること、それが倫理学の務めである。したがって、倫理学は我々の道徳的意識の全体を究明することとなるが、それは道徳的判別を行為および品性との関わりのうちに考究することである。そして、その道徳的判別の善し悪しを論じるための標準を立てること、したがって道徳的行為の規範を究明し示すことこそ、倫理学の本領とすべきものである」(久野収)                   
 ここでは倫理=道徳であり、これがいわゆる普通の人が思い浮かべる「倫理学」ではないか。その人が書店の棚で和辻哲郎のこの著作を初めて目にすれば、「ああ道徳に関する学問だな」と砂を噛むような学校の授業を思い出し、手にも取らないのではないかと思う。         
 和辻哲郎の「倫理学」はこれと同じなのか、違うとすれば、何が違うのだろうか。

(2)へ続く

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