The United States of Lyncherdom By Mark Twain
リンチの国アメリカ ②
マーク・トウェインは次の言葉を残している。“The Christian’s Bible is a drug store. Its contents remain the same, but the medical practice changes.” 聖書そのものより、宗教の実践者である人間の問題を指摘しているのだ。中国で布教活動をするアメリカの宣教師について述べる部分はトウェインらしい皮肉に溢れている。もちろんイメージなのだが奴隷たちの火刑の描写はすさまじい。全米で「小規模」で行われているリンチの恐ろしさ 、それが大いなる誤りであることを,それがいかにばかばかしい結果になるかをを示して証明する、いわゆる帰謬法(reductio ad absurdum)の手法で読者に示している。
「西洋かぶれ」は、原文ではcivilized、すなわち、「文明化」だが、中国にはすでに立派な文明があるし、トウェインもそれを認めているので、「西洋文明化される」と解釈し、文脈から「西洋かぶれ」とした。この言葉に込めたトウェインの意図は「キリスト教化」されるということだろうが、危ないので、「文明化」としたのだろう。
「それでだ、リンチ解決策としてこのようなものはどうか。リンチの病に罹ったコミュニティに勇敢な人間を一人駐在させ、人々を励まし、支援し、心の秘密の場所奥深くにあるリンチ非難の気持ちを表に出させるのである。リンチを憎む気持ちは確かにある。それは間違いない。そうすれば、コミュニティは模倣の対象としてもっとましなものを見出すことになる。もちろん、人間であるから必ずそれを真似るのだ。では、その勇者をどこで見つければいいのか。これが難しい。地球上にそのような人間が300人いるかいないか。肉体的に勇敢な者ということなら、事は簡単だ。そういう者は山ほどいる。ホブソン(Richard Hobson、米海軍軍人、米西戦争の英雄)が確実な死が約束されている任務に7名の志願兵を募った時、なんと艦隊の全員、4000名がそれに応じたのだ。その理由は、世界がこの行為を良いと認めるからである。ホブソンの企てが仲間から冷笑されるようなものであったなら、7名でさえ集められなかっただろう。水兵にとっては仲間内の評判および承認はとても大事なのである。
いや、よく考えてみれば、この計画はうまくいきそうもない。道徳的に勇気がある人間が不足しているからである。道徳的勇気という資質は極めて深刻な欠乏状態にあるのだ。南部のあの2人のシェリフはどうだ。だめだ。彼らが巡回するわけにはいかない。彼らはそれぞれのコミュニティに腰を下ろしてその面倒を見なければならないのだ。
しかしだ。彼らのように素晴らしい資質のシェリフがもう3人か4人いたらどうだろう。役に立つだろうか。私は役立つと思う。なんといっても、人は真似るものだから、他の勇敢なシェリフが彼らに続くだろう。豪胆なシェリフが正しい存在として認められ、そうでない者は大いに非難されるだろう。シェリフという仕事では精神的に勇敢であることが当たり前のものとなり、そうでないことが不名誉になるだろう。新兵の臆病さが勇敢さに取って代わられるように。そして、群衆とリンチ者は姿を消し…
まてよ、物事には始めがつきものだし、何から始めればいいだろうか。広告はどうだろう。よし、広告を打とう。
その間にやれることがある。中国からアメリカ人の宣教師を輸入して、彼らをリンチの現場に送り込むのだ。彼の地では非クリスチャンが一日3万3千人生まれるのに対し、1500人の宣教師が年間で一人につき2人の中国人を改宗させるとしたら、中国のキリスト教化が目で見てわかるほどになるまで少なく見積もって100万年はかかるだろう。それで、我が宣教師たちに多くの犠牲を払わずに済み、危険性に関しても極めて満足できる仕事場を本国アメリカで提供すれば、宣教師たちもこれはいい、やってみようかと思うのではないか。中国人が素晴らしい人々であることは周知であり、誠実で、志操正しく、勤勉で、信頼でき、心優しい、とにかくそれほどの人々なのである。だからそっとしておいてやろう。現状のままで十分良いのである。さらにだ。中国人一人をキリスト教に改宗させれば西洋かぶれが一人増えることになる。慎重に振舞わなければならない。このような危険を冒すべきかじっくりと考えるべきだ。中国が一度西洋にかぶれてしまえば、もう元にはもどらないのである。こうしたことをじっくり考えたことはなかった。よろしい、考えようじゃないか。ということで、我が宣教師たちは彼らに仕事場が用意されていると知る。仕事場は1500人どころか15011人でも受け入れられる。宣教師たちがテキサスよりも中国により魅力を感じるなら、次の文面の電報を見せてやろう。
黒人が木の場所まで連行され、ぶら下げられた。体の下には木材と飼料が積み上げられ、点火され炎が上がった。その時、あまりに早く死なせてはダメだと声が上がり、黒人は地面に降ろされ、一隊が2マイル先のデクスターまで石油の調達に向かった。炎に石油が掛けられて、一つの仕事が終わった。
宣教師たちにアメリカに戻って我々を助けるようお願いしよう。愛国心があればこの義務を避けることはできないはずだ。アメリカの状況は中国よりひどいのだ。宣教師たちはアメリカ人である。苦境に陥っている祖国が彼らの援けを求めているのだ。宣教師たちは有能である。国内にいる我々はそうでない。嘲り、冷笑、罵り、それに危険も十分経験している。我々はそうでない。彼らには殉教者の精神がある。殉教者の精神があればリンチの群衆など物ともせず、彼らを怯えさせ、追い散らすだろう。宣教師たちはアメリカを救えるのだ。彼らに戻ってきて仕事をするようにお願いしよう。宣教師たちに電報を読んでもらい、何度も読み返せば、リンチの光景が心に浮かび、真剣に考えるようになるだろう。
例えばだ、1に115を掛けて、88を足す。合計203を一直線に並べる。一つの人間松明の間を600フィート開けると、周囲に5000人のアメリカ人クリスチャンの見物席ができる。男も女も子供、若者、未婚の女もすべてだ。より陰惨な効果を狙うために場所をゆるやかな丘の上に設け、坂に沿って杭を打てば、24マイルに渡って続く肉と血のかがり火を一目で見渡すことができる。これが平らな地面であれば、地球は丸いので人間松明の端は隠れて見えなくなる。さあ、準備万端だ。薄暮で明るさもちょうどよく、静寂が辺りをおおい、聞こえるのはかすかな風のうめきと犠牲者たちのすすり泣きのみ。さあ、石油まみれの火刑の杭に同時に火をかけよう。炎と苦悶の声が一斉に上がり、天上まで届く。この光景を観ることができるものは100万人以上になるだろう。夜のとばりの中炎の明かりが5000の教会の尖塔をおぼろに浮かび上がらせる。心優しき宣教者たちよ。中国を離れて国に戻り、この国のクリスチャンたちを教化してくれ。
ひるまず群衆に立ち向う勇敢な人々のみがこの血にまみれた伝染性の狂気に終止符を打つことができる。常に危険と隣り合わせでないとこの種の勇敢さは身に着けることができない。危険に立ち向かうことで勇敢さは養われるのである。つまり過去数年にわたり中国でそれを経験してきた宣教師たちが最もこの任にふさわしいのである。彼らがなすべき仕事は多い。百人、千人単位の仕事ではない。しかも、彼らの仕事場は増えつつ、広がりつつあるのである。本当に見つけられるのか。とにかく、やってみようじゃないか。アメリカ国民7500万人の中にはメリルやブロートのような人物が複数いてもおかしくない。このような人物一人一人が人々の今はまどろむ高潔な精神を覚醒させ、前面に押し出させる、我々はそのように出来ているのである。

