日英の文芸作品に描かれる老い (1)

 7年位前だが、日英で文学賞を受賞した二つの作品を読み、共に人生の老年期を描きながら、それが対照的なので面白く、この小文を書いてみた。その二作品とは、『おらおらでひとりいぐも』(第158回芥川賞受賞作、著者 若竹千佐子2017年)そして、『The Sense of an Ending』(2011年度ブッカー賞受賞作、著者 ジュリアン・バーンズ 2011年)である。この二作品を読み解くために、『甘えの構造』土居健郎(1971年)を参考にした。

作品を読み解くためのキーワード: 「甘え」

 「甘え」は日本人の心理と日本社会の構造を理解するための重要なキーワード。甘えとは、周りの人に好かれて依存できるようにしたいという、日本人特有の感情と定義。この行動を親に要求する子供にたとえる。また、親子関係は人間関係の理想な形で、他の人間関係においても、親子関係のような親密さを求めるべきとする。

 「甘え」に表される日本人の心性・人間関係の基本を「『他人依存』的『自分』」「受身的愛情希求」「『幼児的』なもの」とし、これを非論理的・閉鎖的とする(西洋社会的)観点も存在する。(土井健郎『甘えの構造』より)

「甘え」が日本人の対人関係の基本属性であるかどうかはともかく、日本人の人間関係のあり方を端的に示すものと考える。

 二作品について簡単にまとめると、

『おらおらでひとりいぐも』

 「甘え」の人間関係の中にどっぷりつかって生きてきたひとりの主婦が、夫との死別、子との精神的離別を経て味わう老境期の強い孤独感(甘えの対象を失った喪失感)を、対象を失うことによって逆に顕在化した自己と向き合うことで克服し、「ただ待つだけでながった。赤に感応する、おらである。まだ戦える。おらはこれからの人だ。まだ、終わっていない」と一歩前に踏み出す物語として読む。

『The Sense of Ending』

 英国人が書いた現代英国社会を背景とした小説であり、「甘え」など微塵にもない。その代わり、ここにあるのは強烈な自意識で、「他人と代置不可能な個人の実存とその自由を重視する」個人重視の意識が同じように自意識が強い他者との関係を破綻させたが、主人公はその自覚もなく、「特別な悔恨に堪えながら、これらのこと(他人を無自覚に傷つけたということ)を考えつづけなければならない」、人間関係に「甘え」が介在しない「自律した個人」の社会の物語として読む。

 『おらおらで』の主人公の元主婦は自分が「甘え」の人間関係にどっぷりつかってきたことに自覚はない。『終わり』の主人公のインテリ男性も自分の自意識の強さに無自覚な「わかっていない」男である。「甘え」も「独立した強い個人」もそれぞれの文化の基盤にあるもので、知らず知らずのうちにそれぞれの人間関係に影響を与えている。

 二つの小説は主人公の回想部分の占める割合が多い。『Sense of Ending』の文章を借りると、「これが、若さと老いの違いの一つかもしれない。若い時は自分の将来をさまざまに思い描く。年をとると、過去をあれこれと書き替えてみる」、『おらおらで』では、「老いることは経験することと同義だろうか、分かることと同義だろうか。老いは失うこと、寂しさに耐えること」、「もう自分は何の生産性もない、いてもいなくてもいい存在」という「事実」にどのように向きあっていくのかがそれぞれの小説のテーマとなっている。一方で、『おらおらで』の主人公は、わたしというときに一拍置くような自分に対して控え目な存在、『Sense of Ending』の主人公は、「自律的個人」(小説はすべて一人称で語られる)違いが存在する。

 日本では、「自律した個人」の思想は第二次大戦後の教育を通じて浸透し、個人の権利、尊厳、自由などは当然保証されるべきものとされてきた。しかし、「個人」という存在を頭の中では受け入れながらも、欧米のように「個人」の思想を育んだ歴史的、文化的背景を持たない日本人は何かしっくりしないものを感じてきたのではないだろうか。一方で、日本には「甘え」のように人間相互依存的、個人と集団の境が明確ではない行動特性が存在し、現在に至るまで、多くの日本人はそれを自然に受け入れ、行動しているように思われる。しかし、「個人」思想の浸透に伴い、日本的相互依存的人間関係は自立を妨げ、幼児的あるいは閉鎖的、非論理的なものとして非難されることも多い。こういう私も「自立した個人」に憧れを感じ、湿っぽい日本的人間関係を疎ましいと思う時期もあった。

 しかし、欧米、特にアングロアメリカンの小説に触れるうちに、そこにある人間関係が一様に荒涼としており、温かみが欠如していると感じるようになった。強い個人と強い個人の関係は外面上均衡を保っていても、常に緊張をはらんでいる。それゆえに、日本的なだらだらとした連ドラ的ストーリー展開よりも、面白い刺激的な内容のものが多いともいえる。

 今回、芥川賞受賞作である『おらおらで』を一読して、強い自我を育ててこなかった一人の主婦の生き方、物の感じ方にきわめて日本的なものを感じ、さらに以前読んだ『Sense of Ending』を思い出した。主人公の初老の男性が、自分の過去を理性的に理解しようと努める姿が『おらおらで』の元主婦の姿と対照的なものとして映ったからである。そして、『おらおらで』の元主婦が孤独と向き合うことで見出したある気づきがこれからの日本における老齢問題(心の問題としての)を考えるうえで大いに参考になるかもしれないと思った。

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