2024年の読書(5)
篠田謙一 『江戸の骨を語る』
カトリックの伝道のために鎖国下の日本に渡航した(潜入した)宣教師ジョヴァンニ・シドッチ(Giovanni Battista Sidotti)は、彼の尋問を行った新井白石の『西洋紀聞』に登場し、高校の日本史の教科書にも載っている人物だが、死んでから三百年も経ってその遺骨が発掘され、しかも復顔までされるとは誰も思わなかっただろう。『江戸の骨を語る』(篠田謙一)はその過程を詳細に辿る。しかし、この本は歴史の本ではない。著者はこの本を書いた当時国立科学博物館副館長(兼)人類研究部長だったが、2021年同博物館の館長に就任した古人骨DNA解析の第一人者である。この本は、「DNAの分析がいかにして切支丹屋敷から出土した人骨にその秘密を語らせたのかを解説することによって、DNA研究の最前線で何が行われているのかを、自然科学にあまり興味のない人たちに伝えることを意図した」ものだ。まさにその通りである。DNA解析のプロセスの記述は簡潔といっても専門家らしく詳しいもので、なるほどと思わせる。
しかし、読んで強く感じたのは、日々進歩するDNA研究の世界的レベルに追いつくために年々減っていく乏しい研究費で悪戦苦闘する日本の第一線研究者の姿である。シドッチのケースも、自ら企画して骨を集め分析研究する予算がなく、委託による分析作業の成果なのだ。日本のDNA研究の現状をアピールするによい機会だとも考えたようだ。腹立たしいのは、世界的レベルにあるのに「すぐ金にならない」研究に金を惜しむ行政の在り方である。どのように華々しい成果も地道な研究の上に成り立つことを忘れているのではないか。人類の知恵を高める、知識を増やすことに貢献するのが日本人の今後の役割だと私は思う。
篠田氏には『人類の起源』という新書の名著があって、私はこちらの方を先に読んだ。アフリカから出発して日本まで辿り着いた我らの祖先の歩みを知ることができたが、研究はまだこれからのようだ。新たな考古学上の発見とDNA解析のレベルアップがまた新たな知見を生むかもしれない。この本を読んで、日本民族であるとか一括りにして語るのはこれから控えねばならないと思った。日本人の遺伝子は案外複雑で、単純に縄文系、弥生系と分けられないという。いろいろな人々が様々なルートで日本列島に渡ってきたのだ。
ところで、シドッチのケースとよく似たことが英国でも起きた。戦死した(1485年)最後のイングランド王であるリチャード3世のケースだ。この場合も遺骨のDNA分析がアイデンティティ確認の決め手となった。これが2013年だからシドッチの場合より2年ほど前だ。リチャード3世は、その死後一世紀ほど後に戯曲でシェークスピアによって、性格が残忍・卑屈で、容姿が醜く、兄の忘れ形見であるエドワード5世ら幼い二人を殺害させた悪人として描かれ、その後の評価に決定的な影響を与えた。シェークスピアの時代はチューダー朝で、その前のヨーク朝の王様を悪く言うのは当然なのである。2012年に古い時代の遺骨が記録された埋葬場所と一致するレスター市中心部の駐車場の下から発見され、それをリチャード3世の姉の女系子孫(現代カナダ人)と照合させるミトコンドリアDNA鑑定が行われた結果(骨の状態もさほど悪くなく、姉の子孫がいることで、シドッチの場合ほど難しくはなかったようだ)、かなりスピーディーにリチャード3世のものと断定された。こちらの方は遺骨が悪名高いが有名な王のものだったのでシドッチとは比べ物にならないほど大々的に喧伝された。復顔もされたが、当然だが当時の肖像画とよく似ている。その顔が愁いを帯びていて、遺骨に勇敢に戦った跡が生々しく残っていたことから、従来の「悪人」評価も見直されている。頭に大穴があくほど散々に戦い、死んだあと馬に吊るされて運ばれ、衣類をはぎ取られ、晒された挙句ろくな埋葬もされなかった遺骨はあらためて立派な棺に納められ、大々的にレスター大聖堂に再埋葬された。その際にリチャード3世に捧げる詩を朗読した俳優、ベネディクト・カンバーバッチはなんとリチャード3世の遠縁だそうだ。これもDNAでわかるのですな。DNA鑑定がより手軽になれば、日本全国親戚だらけになるかもしれない。悪いことではないが、遺産相続時のもめごとが増えそうである。