ジャクソン・ポロックとその仲間‥‥ザ・ニューヨーカーより 7

 ニューヨーカー誌に1950年に掲載されたロバート・M・コーツ(Robert Myron Coates)の文を抜粋して紹介しよう。コーツ(1897 ~1973)は米国の文筆家で、ニューヨーカーで長い間美術評論を展開し、1946年にジャクソン・ポロック他の作品に関連して「抽象表現主義」(Abstract expressionism)という用語を使用したということだ。小説家でもあり、作品としては、The Eater of DarknessOutlaw Yearsなどがあって、前者は、「英語で最初のシュルレアリスム小説」だそうだから、機会があれば一読したい。まともに読めずに放棄する可能性もあるが。

 ベティ・パーソンズ・ギャラリーでジャクソン・ポロックの新たな作品が展示中であるが、評論家がポロックのような奇才と向かい合う際は、十分な理解力をもって人の作品を批評すべきであるとの己の信条にさらに忠実であらねばならない。また、特に絵画に関しては、芸術家がユーモアを発揮することがまずないことも肝に銘ずるべきだ。さらに、皮肉屋が何と言おうとも、芸術家が人々に悪ふざけを仕掛けることにその人生を費やすこともまずありえない。そうすることによって得られる報酬がほとんどなければ、なおさらのことだ。また、技法上の革新がどのように法外なものであっても、それには何らかの芸術的根拠があることを忘れてはならない。そして、それら革新的なものがどのように異様で従来の型にはまらないものであっても、その水面下には過去との繋がりが存在することも心に留めておくべきだろう。ポロック氏は、現代アーティストでいわゆる「ワイルド」派の他の人々、ハンス・ホフマン、リチャード・パウセット=ダート、それに、ルイス・シャンカーと共にかなりの非難を浴びている。その非難とは、みっともないほどいい加減な画法というものからまったくの誤魔化しであるとするものまでに至るのだが、これらの多くは無視するか、気にかけなくてもよいものである。ポロック氏が絵具を塗布するやり方はかなり型破りなもので(キャンバスを床に水平に置き、その上に缶あるいはチューブから直接絵具を垂らすのが氏のやり方だそうである)、また、アルミニウムペイント、アスファルトの屋根用接着剤、エナメル塗料といった常ならぬ材料に対する好みも含めてその始まりは従来のやり方に対する反抗のジェスチャーであっただろうが、工業分野で盛んに行われていることと面白い関係があるとも思える。そこでは、より直接的な方法を求めて刷毛使用を止め、常に新たな材料が試されているのである。風変わりで分かりにくいかもしれないが、ポロック氏の描画作法はいい加減とは程遠いものだ。彼の絵画の大半を占める蜘蛛の巣の上に蜘蛛の巣を描く多彩な線は過たず確かに描かれており、加えて、その絵画のサイズが大であること、そして今に至るまで彼の企てが金銭的利益とは無縁であることを考えれば、ポロック氏の作品が大掛かりな悪ふざけだとの非難はまったく意味をなさない。
 しかし、それでも疑問は残る。ポロック氏は何を意図しているのだろうか。そこで私が思うに、これはポロック氏が所属する派全体の他のメンバーにも言えることだが、そのデザインコンセプトが作品を少しわかりにくくしているのだ。ほとんどの人にとって、形は輪郭線を意味しているので、キャンバスの上に輪郭線を見ると、それが何かの形を表わすものとして見ようとするのである。たまたまだが、これは、立体派およびファン・ドゥースブルフとモンドリアンなどの非具象派が直面した状況なのだ。しかし、彼らのデザインは角のある線あるいは正確に描かれた曲線で、単純な幾何学的輪郭と形状を即座に想起させるので、必然性があり厳格に理詰めのものだと鑑賞者に思わせるのである。ポロックの作品では、線は不規則かつうねり、構図は整然かつ厳格どころか、あふれんばかりで爆発的である。線と構図は有機的なものを思わせ、自然な形の線は多様で、気まぐれなものであるから、鑑賞者は見覚えのある輪郭がないかと探し求めるのだが(もちろん、そのようなものはない)、それがないとわかると一層当惑するのである。

 コーツは、ポロックの作品に「水面下の過去との繋がり」及び「芸術的根拠」を認めつつ、「デザインコンセプトが作品を少しわかりにくいものにしている」とする。それはどういう意味なのか、彼は具体的な作品を読み解きつつ、次のように結ぶ。

 ある意味このような違いがあるからこそ、デザイン面でポロックの作品は例えばモンドリアンと同様に恣意的なものではないが、すぐさま「入り込む」ことが難しく見えるのだ。しかし、この若手芸術家がモンドリアンほどの知恵と円熟の境地に至っていないことも事実なのである。とはいえ、ポロックの作品の見かけの難解さを乗り越えることは可能であり、今回の展覧会では彼のキャンバスが30数点あり、1点を除いてすべてが今年に制作されたもので、ポロックの作品の強みと弱みの両方を子細に見ることが出来る。
 短所としては、一つはこの派全体に共通した弱点なのだが、偶然の産物が作品の意図を台無しにするほど支配的になる傾向があり、その結果、構図の真の意味が大よそ意味不在の装飾的なものの中に埋もれてしまうのである。(全ての作品には番号が振ってあって、参照が退屈なものとなる。)この欠点は大型のキャンバス、30番と31番で特に顕著で、小さなものに関しては、特に15番で、デザインのその絶妙なリズム感が同じようにやりすぎたおかげでほぼ台無しにされているのである。
 また、ポロックの色使いには無用な繰り返しがやや見受けられる。私が先に触れたように、ポロックが構図的上好むやり方は、蜘蛛の巣状や縞模様を重ねることで、このことがキャンバスに奥行きと空間の広がり感を与え、それはきわめて独特なものなのだが、ブルーグリーンと赤の背景から白の網を通してより大胆な黒に至るパターンが多すぎるように感じ、レース状で繊細な1番、そして雪が降っているような27番ではその順番が変化しており、ありがたいと思える。もちろん、すべての作品に同じような繰り返しがあることはなく、際立って黒い32番から27番に目を転じ、さらに、帯状の装飾のようなやや小さい7番を見れば、その取り組みにある種の健康的な遊び心が認められるのである。
ポロック氏の最大の強みは豊饒さと生命力にある。はっきりとは定義できないのだが、それらが彼の作品に輝きを与え、人の心を刺激するのである。私はそれをグリーンとブラックの作品19番、陽気な、やや小ぶりな作品18番に特に感じた。氏の展覧会全体を通じて明らかに感じられたのは質の高さであり、私は、ポロック氏が極端に走ってしまうことがないことを希望したい。

ロバート・M・コーツ ニューヨーカー 1950年12月9日

 なるほど、ジャクソン・ポロックの場合は、その制作の過程で偶然が入り込み、それがもともと意図されたものを見えにくくする可能性があるというわけだ。しかし、それがポロックの魅力なのではないかとも思える。ポロックの最大の強みとして挙げられている爆発的なもの、豊饒さ、生命力は意図しなかったものが生み出しているのかもしれない。この点、欧米人よりも日本人の方が反応しやすいかもしれないな。いずれにせよ、ポロックの作品にどのように向き合うかがわかった気がする。

Oenette Coleman FREE JAZZ

 ところで、私がジャクソン・ポロックの作品に出合ったのはおそらく銀座のレコード店で、ジャクソン・ ポロック の作品を使ったオーネット・コールマンの「フリージャズ」(1960)を手に入れたのだ。文字通りのジャケ買いではないが、ジャケットに惹かれたのは事実だ。
 今、そのジャケットを見ると、表面は文字ばかりで、ポロックの絵は表面の切り欠きからほんのわずかしか見えない。しかし、表面をめくると作品「白い光」が一面に現れる仕掛けだ。ポロックは1956年に44歳で、自動車事故で早世しているので、この作品は死後に取り上げられたことになる。オーネット・コールマンは自分の音楽は、something like the painting of Jackson Pollackと言っていたそうで、かなりの親和感があったのだろう。

MoMAによるJackson Pollock Jazz

 しかし、ポロック自身の音楽の好みはやや違うようだ。Jackson Pollock JazzというCDがあって、MoMAのキュレーターがポロックのジャズレコードコレクションの中から選んで編集したものだが、意外なことに、フリージャズどころかモダンジャズの演奏も含まれていない。1930年代~40年代のジャズが並んでいて、しかも、それより古いジェリー・ロール・モートンの演奏があるのは驚きだ。ファッツ・ウォーラー、ルイ・アームストロング、カウント・ベーシー、デューク・エリントン、コールマン・ホーキンス、ライオネル・ハンプトン、アーティ・ショー、ビリー・ホリディはいわゆるスイング黄金時代のスターだ。スイング時代と言っても、ここにあるすべてのプレイヤーは時代の最先端を走り、次世代のミュージシャンに影響を与えた。ポロックはこうしたレコードを聴きながら制作を行ったそうだ。時代やレッテルに関係なく、良い音楽は心を刺激するのだ。
 今後、日本でポロックの展覧会が開催されたら、ミュージアムショップでこのCDが販売されるかもしれない。ポロックの展覧会は生誕100年の節目に2012年に東京国立近代美術館で開催されているので、次はもう少し先だろうな。

(参考)Jackson Pollock Jazz 第1曲として収録されているJelly Roll Moron Beale Street Blues

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