ジョン・アップダイクの野球評‥‥ザ・ニューヨーカーより 1

1.私と『ザ・ニューヨーカー』

The Story of A Decade 40s

 1925年にニューヨーク・タイムズのレポーターであったハロルド・ロスによって創刊され、現在まで100年近くの歴史を持つ米国の高級誌ザ・ニューヨーカー(The New Yorker)は、ハルキ・ムラカミ、トルーマン・カポーティ、ロアルド・ダール、ウラジーミル・ナボコフ、フィリップ・ロス、J・D・サリンジャー、アーウィン・ショー、ジョン・アップダイク、スティーヴン・キングなど米国のみならず20世紀を代表する作家たちの主として短編作品の発表の場となってきた。しかし、ニューヨーカーは、米国のジャーナリスト、批評家、コラムニストにとっても重要な雑誌で、小説以外にも詩(W.H.オーデンなど)、ルポルタージュ(A.J.リーブリングなど)、人物スケッチ(リリアン・ロスなど)、文芸批評(エドマンド・ウィルソンなど)、劇評(ウォルコット・ギブスなど)、音楽評(ウィンスロップ・サージェントなど)、さらに加えて漫画など様々なジャンルにわたる質の高い文章を世の中に送り出して来た。

同  50s

 私も20代前半に会社の図書室でこの雑誌を見かけ、他に読む人がいなかったので、高級誌をほぼ独占状態で読むことが出来たのだ。どのジャンルも一癖ある文章であり、読むのはなかなか大変だったが、中でも判読が難しかったのは漫画で、基本的に一コマの、いわゆるカートゥーンだが、絵にキャプションあるいはフキダシが添えられ、それは多くの場合絵に登場する人物のセリフになっていて、オチは絵にあるのか、文字なのか。このジャンルはニューヨーカーでも激戦区で、いわゆる持ち込みが大半を占めるのだが、なかなか採用に至らないらしい。

同  60s

 しかし、最近店頭で見かけるニューヨーカーはずいぶん薄くなった。この間一冊買ってみた。確かに昔(20年も前だ)に比べて薄い。それ以外は表紙のデザインも、記事のレイアウトも同じである。内容はどうだろうか。扱っているジャンルに大きな変化はない。短編もあれば、詩もある。主な記事では、米国最高裁判事の妻が右翼団体と深く関わっていることを鋭く掘り下げている。雑誌不況にあって、ニューヨーカーはデジタル版を含めて高収益を上げているそうだ。やはり質が重要なのだ。

2.ジョン・アップダイクの野球評

 ニューヨーカーで網羅されている様々なジャンルの中で、私は、特に野球とジャズ評に関心があり、野球に関してはロジャー・エンジェルが気に入りで、彼のコラムを読むたびに米国の野球は日本とは別物だと感じるが、それ以上にスポーツジャーナリズムそのものの差も大きいのだろう。

 野球と言えば、ジョン・アップダイクがニューヨーカー誌上で、Hub Fan Bid Kid Adieuと、まるで判じ物のようなタイトルの作品を発表している。Hubはボストンの俗称であり、Kidは最後の4割打者テッド・ウィリアムスの綽名なので、つまり、「ボストンのファンがテッド・ウィリアムスに別れを告げる」ということだ。テッド・ウィリアムスは、大リーグではレッドソックス一筋で、偉大な記録を残した選手(通算本塁打521本、通算打率.344)。当時はヤンキースのジョー・ディマジオと並び大リーグの二枚看板だった。サイモン&ガーファンクルのヒット曲『ミセス・ロビンソン』に登場するクラッチヒッターでファン受けがいいディマジオは長嶋、悪球に手を出さず四球が多く、求道的なウィリアムスは王選手に例えられるだろう。テッド・ウィリアムスはメディアが病的に嫌いで、また、シャイな性格なためファンサービスにも熱心でなく、ホーム球場であるフェンウェイパークではブーイングを浴びることさえあり、負け試合ではボストンのメディアから「戦犯」のように扱われた。メディアとの関係が悪かったせいで、4割の打率を残し、本塁打王のタイトルを獲得してもMVPに選ばれなかった。MVPに選ばれたのは56試合連続安打を記録したディマジオだった。アップダイクの文は、このテッド・ウィリアムスが引退を決め、本拠地最後の試合に臨む姿を描いたものだ。特に、最終打席でホームランを打った時の姿を描いた部分が印象的だ。凝った表現や言葉が多いアップダイクの文章を日本語にするのはなかなか難しいが、それでもなんとか訳すと、以下のようなものとなる。

「嘆願する観客の叫びの只中で、ウィリアムスはベースで囲まれた四角いフィールドを一周した。旋風に巻き上げられた一片の羽根のようにも見えた。彼がホームランを打った後いつもそうするように、早足で、笑みもなく、うつむいて、走り去った。まるで観客の称賛の嵐から一刻も早く逃れたいと思っているようだった。帽子の庇に手を触れて観客に挨拶することもなかった。ウィリアムスがダグアウトに姿を消してからの数分間観客は手を叩き、涙を流し、「出てきて、テッド」と唱和したが、それでもグラウンドに姿を現すことはなかった。観客の出す音は単なる興奮状態を通り過ぎて一種の激しい苦悶の声となり、救いを求める叫びのようなものになった。しかし、不朽の名声とは取引を拒絶するものなのだ。
 新聞によると、他の選手たち、グラウンド上にいたアンパイヤたちでさえもダグアウトから出て観客にどのような形でも挨拶するように請うたのだが、テッド・ウィリアムスはそれをはねつけた。
 神がファンレターに返事を書くことはないのだ。」 
(ジョン・アップダイク 『ボストンのファンがテッド・ウィリアムスに別れを告げる』 ザ・ニューヨーカー 1960年)

 原文ではただのletterなので、手紙でなくファンレターとしたのはちょっとやりすぎかな。

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